アカエア
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この項目では、古代ローマの属州について説明しています。その他の用法については「アカイア」をご覧ください。

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アカエア属州の位置(120年頃のローマ帝国)

アカエア(ラテン語: Achaea、ギリシア語: Αχα?α、ギリシア語ではアカイア)は、古代ローマ期の属州の一つでギリシア南部ペロポネソス半島に位置し、エピルスマケドニア属州に北で接していた。また、アテナイスパルタテーバイなどのポリスが属していた。
目次

1 概要

1.1 ローマ支配前・小史

1.2 共和政ローマ時期

1.3 帝政ローマ時期


2 関連項目

概要
ローマ支配前・小史

アカイア地方(ペロポネソス半島北部)にあるポリス古代ギリシア時代より高度の自治を有していたが、ギリシア世界における主役となることはなかった。アテナイスパルタといったギリシアにおける有力ポリスはペロポネソス戦争以降の数々の戦争、紀元前4世紀マケドニア王ピリッポス2世アレクサンドロス3世父子の支配時代を通じて、マケドニアに散発的な抵抗を見せるものの、徐々に力を落としていった。紀元前3世紀に、北方のアンティゴノス朝マケドニア王国に対抗するためにアカイア人たちはアカイア同盟を結成した。彼らはイリュリアカルタゴなどを破って勢力を伸ばしつつあった共和政ローマと手を組み、有力ポリス亡き後の間隙を縫う形でギリシアの覇権を狙い、ギリシアにおける影響力を増そうとするマケドニアや強国への復活を目指すスパルタと対峙した。クレオメネス戦争紀元前229年-紀元前222年)ではアラトスの指導の下でマケドニアと組んでスパルタ王クレオメネス3世と戦って破り、紀元前2世紀始めにはフィロポイメンの下でスパルタの二人の僭主マカニダスナビスと戦い、ついに紀元前192年にはナビスの死によって混乱状態にあったスパルタをアカイア同盟に強制的に加入させ、支配下に置いた。ローマとの戦いでマケドニアが凋落するとアカイア同盟はローマと対決したが、紀元前146年執政官ルキウス・ムンミウス率いるローマ軍とのコリントスの戦いに同盟軍は敗北、コリントスが破壊されアカエア自体もローマへ併合された。なお、コリントの征服者ムンミウスは「アカイアの征服者」を意味する「アカイクス」(Achaicus)のアグノーメン(添え名)を得た。
共和政ローマ時期

共和政ローマへの併合後、元老院属州として60年間は無事に統治され、中核となるアテナイやスパルタなどは、古代ギリシア時代同様に一定の自治を保有していた。当時は近隣のマケドニアと一つの属州であった。

紀元前88年ポントスミトリダテス6世は、ビテュニアカッパドキアの領有を巡ってローマとの間で戦端を開いた。アカエアをローマから解放することを唱えたミトリダテスに対して、アテナイなどアカエア属州に属するポリスの多くがミトリダテスを支援した。結局、ルキウス・コルネリウス・スッラが指揮を取るローマ軍の前にミトリダテスは敗北。


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