アウストラロピテクス・アファレンシス
メキシコシティの国立考古学博物館にあるルーシーの骨格
分類
アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis、'アファール猿人'の意)は約390万 - 約290万年前[1]に存在した化石人類の一種である。
同時期に存在したアウストラロピテクス・アフリカヌスと同様のスリムな体形をしている。研究の結果、アウストラロピテクス・アファレンシスはアウストラロピテクス属とヒト属の共通の祖先であり、現代のヒトに直接繋がっていると考えられている。
アウストラロピテクス・アファレンシスの化石はアフリカ東部のみから見つかっている。タイプ標本の化石こそタンザニアのラエトリで見つかっているが、有名なルーシーを含むその他の大部分はエチオピア北東のハダール村で発見されている。他にもエチオピアやケニアでも発見例がある。 現代の、また絶滅した類人猿と比べて、アウストラロピテクス・アファレンシスの犬歯や奥歯は小さかったが、それでも現代のヒトよりは大きかった。脳のサイズも380-430mlと比較的小さく、顎が前に突き出た原始的な顔をしていた。 脳が小さく、原始的な顔をしていた人類が直立二足歩行をしていたという事実は、当時の学会にとって意外なことだった。これは当時、脳のサイズの増大が人類への移行の初期の大きなステップだったと信じられていたためである。1970年代にアウストラロピテクス・アファレンシスが発見されるまでは、直立二足歩行は脳のサイズの増大の結果だと広く考えられていた。当時既に発見されていたホモ・ルドルフエンシスなどが約800mlという大きな脳を持っていたためである。 アウストラロピテクス・アファレンシスの運動行動については現在でも議論がある。アウストラロピテクス・アファレンシスは平地でほぼ完全な直立二足歩行をしていたと考える学者もいれば、一部樹上生活を送っていたと考えている学者もいる。手・足・肩の関節の形態からは、後者の説が支持されている。また指や爪先の骨の湾曲具合からは、木を掴み、登るのに適していたことが分かっている。さらに手首を固定する機構があったことから、手をついて四足歩行することもあったと推測される。肩の関節も、現代のヒトと比べて頭の側に偏っている。 しかしアウストラロピテクス・アファレンシスが、直立二足歩行をしていたことを強く示唆する証拠もいくつもある。骨格全体を見ると骨盤の形は類人猿のものよりもヒトのものに近く、腸骨は太くて短く、仙骨は幅広くて股関節と大腿直筋に直結している。さらに、大腿骨の角度も尻から膝の方に向いている。このことによって、体の中心線に沿って足を下ろすことが可能となり、直立二足歩行を行っていたことが強く示唆される。現存する動物の中ではヒトの他に、オランウータンとクモザルだけがこの特徴を持っている。また足の爪先は大きく、後肢で枝を掴むのは困難であったという指摘もある。踵の関節の形状も、ヒトと非常に近い。 骨格の慣性モーメントと運動学を計算に入れたコンピュータシミュレーションを行った結果、アウストラロピテクス・アファレンシスはヒトと同じように直立二足歩行できたが、チンパンジーと同じようには歩けなかったという結論が得られた。直立歩行は膝と腰を折り曲げて歩くより効率的で、エネルギー効率は2倍も良いのである。これらのことからアウストラロピテクス・アファレンシスは短い距離は直立二足歩行をしていたと考えられ、またラエトリ
身体的な特徴
頭部の特徴と脳のサイズ
直立二足歩行ラエトリの猿人足跡化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。
一般に、直立二足歩行はチンパンジーやゴリラのような腰を曲げて手を突いて歩く歩き方から進化したと考えられているが、チンパンジーとヒトが分化したと考えられている約500万 - 約800万年前に生きたオロリン・トゥゲネンシスも二足歩行をしていたことを示す証拠がある。また現代の類人猿やその祖先の化石を見ると、木に登るために直立する骨格を進化させてきたことが分かる。これらのことから、直立歩行自体は、樹上生活する必要性から進化してきたと考えられる。スマトラ島のオランウータンによる研究の結果、これらは大きな安定した枝の上を歩く時や細い枝の下を渡る時は四足を用い、直径4cm以下の細い枝の上を歩く時には腕でバランスを取りながら二足を用いて歩行することが明らかとなった。