アウグスト・フォン・マッケンゼン
August von Mackensen
渾名最後のユーサル
生誕1849年12月6日
プロイセン王国 ザクセン州
アウグスト・フォン・マッケンゼンAugust von Mackensen
所属政党無所属
プロイセン自由州評議員
在任期間1933年 - 1945年
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アウグスト・フォン・マッケンゼン(August von Mackensen, 1849年12月6日 - 1945年11月8日)は、プロイセンおよびドイツの陸軍軍人。陸軍の最終階級は元帥。第一次世界大戦で軍司令官として活躍した。その後ヒトラー率いるドイツ国防軍においても、象徴的存在と見られた。
経歴
青年期ヴィッテンベルク近郊の屋敷に生まれる。出生名はアントン・ルートヴィヒ・フリードリヒ・アウグスト・マッケンゼン(Anton Ludwig Friedrich August Mackensen)である。村の学校に通ったのちトルガウのギムナジウムに入学。学校でピアノを習い演劇の際伴奏していた。1865年にハレに転校。翌年プロテスタントの堅信を受ける。彼は生涯敬虔なプロテスタント信徒だった。ピッケルハウベを身に付けるマッケンゼン
1868年に成績不振で退学。虚弱と判断され兵役から外された。やむを得ず親元に帰り農業の修業を始める。しかし一転兵役に堪えると判断されてポーゼン州の第2ユサール連隊に一年志願兵として入営し、兵役を済ませた。その後ハレ大学で農学の勉強を始め、同時に経済学、史学の講義なども聴講。1870年の普仏戦争に予備役士官候補生として従軍。偵察で戦功をあげ、第二級鉄十字章を受章した。同年12月に少尉に任官。戦争終了後の翌年10月に大学に復学した。この頃から軍事学に興味を持ち、後年の1898年にドイツ軍事学協会を設立し名誉会長になっている。 1873年、職業軍人の道に進む。勤勉かつ意欲的に軍務をこなし、高い評価を得た。マッケンゼンは上官の評価を得るすべを心得ていた。また戦記の執筆でも高い評価を得て、軍部内で名を高めることに成功した。1877年にケーニヒスベルク駐屯軍に転属。そこで彼が書いた戦記の中で顕彰した将校の妹、ドロテアと知り合う。1878年、中尉に昇進。翌年ドロテアと結婚。彼女の父は東プロイセン州知事であり、マッケンゼンの出世に好影響を与えたことは否定できない。 陸軍大学で学んだ後、1880年に参謀本部に転属。
プロイセン軍人