アイ・ラブ・ルーシー(I Love Lucy )は、アメリカで1951年?1957年にわたって放送されたルシル・ボール、デジ・アーナズ、ヴィヴィアン・ヴァンス、ウィリアム・フローレイが主演するシチュエーション・コメディのテレビドラマ。 シチュエーション・コメディの典型にして代表的な作品。オリジナル版はアメリカCBSテレビで1951年10月15日から1957年5月6日まで白黒で放映され、人気を博し高視聴率を記録した。主人公ルーシー・リカードを演じたルシル・ボールの代表作。 日本ではNHKで1957年から60年(字幕版)、フジテレビで61?62年にかけて放送。フジテレビの吹き替え版放送でのルーシー役(日本語吹き替え)を桜京美(のちに瀬能礼子)が、リッキー役を柳澤愼一が担当した。 その後、設定や構成を幾分変えつつ、『ルーシー・デジ・コメディ・アワー』(The Lucy-Desi Comedy Hour
概要
6シーズン中4シーズンはアメリカ国内最高の視聴率となり、初回から最終回までニールセン視聴率において最高であった(後に『メイベリー110番』と『となりのサインフェルド』もこの記録を達成する)。『アイ・ラブ・ルーシー』は現在も世界中の多数の言語で放送され続けている。
アメリカでは、現在でも上記のシリーズは根強い人気があり、ローカル局やケーブルテレビなどで、常に再放送され続けている。日本では2006年にNHK衛星第2テレビで49年ぶりに再放送され、2008年4月からはチャンネル銀河で再放送されている。また同年にはDVD「コンプリートBOX」の発売が始まり、戸田恵子・三谷幸喜が吹き替えを担当している。しかしTV放映時の吹き替えは未収録。
観客を入れたスタジオで35mmフィルムで撮影された最初のドラマである。エミー賞において多数ノミネートされ、5部門で受賞した。2002年、TV Guide's 50 Greatest TV Shows of All Time で第2位となった(第1位は『となりのサインフェルド』、第3位は『The Honeymooners 』)[1]。2007年、『タイム』誌の100 Best TV Shows of All-TIME にリストされた[2]。アメリカでは現在も人気があり、毎年4,000万人が視聴しているとされる[3]。
アメリカのユニバーサル・スタジオ・フロリダに『ルーシー・ア・トリビュート』(Lucy: A Tribute) という名の記念館がある。 ニューヨークのアパートメントにルーシー・リカード(ルシル・ボール)は歌手でバンドリーダーの夫リッキー・リカード(デジ・アーナズ)と住んでおり、同じアパート内に親友のエセル・マーツ(ヴィヴィアン・ヴァンス)、その夫で管理人のフレッド・マーツ(ウィリアム・フローレイ)も住んでいる。第2シーズンではボールの実生活での息子デジ・アーナズ・ジュニアの出産に合わせ、息子リッキー・リカード・ジュニア(愛称リトル・リッキー)を出産することとなる[4]。 ルーシーは天真爛漫および意欲的でショー・ビジネスに憧れており、スターにはむいていないが、自身と夫をトラブルに巻き込む才能はある。夫妻の親友であるフレッドとエセルが元ヴォードヴィリアンであったということだけでルーシー自身がパフォーマーにむいていると自覚する。しかしルーシーはほんの数回しか演じたことがない。またルーシーは音痴で、サキソフォーンで『Glow Worm 』や『Sweet Sue 』を調子外れに演奏することもあり、大抵これが騒動に発展する。しかし実際ルシル・ボールはこれとは違うため、場合によってはダンスや歌の才能を発揮する。『The Audition 』のエピソードで怪我をしたピエロの代役となった際、およびハリウッドでリッキーの代わりにゴム人形をパートナーにして踊った際の少なくとも2回、ルーシーにはテレビや映画の出演依頼が来ている。この番組では彼女の道化や体を張ったコメディのスキルが存分に披露される。 登場人物の詳細は初期のシットコムでは重要でなく、人物設定が明確でなかった。いくつかのエピソードではルシル・ボールの実際の出身地であるニューヨーク州ジェイムスタウンがルーシーの出身地としているが、出身校であるジェイムスタウン高等学校のあるウエスト・ジェイムスタウンと改められている。旧姓は父方のスコットランドとアイルランドを表現したようなMcGillicuddy である。かつて祖母がスウェーデン系であり、ジェイムスタウンにはアイルランドとスウェーデンの大きなコミュニティがあると語ったことがある。ルーシーがリッキーと出会ったのは、かつて働いていた職場の友人と出かけたクルーズである。リッキーの名前を覚えられないほど頭が弱い母親(キャスリン・カード
あらすじ