アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン
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アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン
Einsturzende Neubauten
アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(2008年)
基本情報
出身地 西ドイツ 西ベルリン
ジャンルインダストリアルエクスペリメンタル・ロック、ポスト・インダストリアル、ノイズ
活動期間1980年 -
レーベルZickZack、Some Bizzare、ミュート
公式サイト ⇒neubauten.org

メンバーブリクサ・バーゲルト
アレクサンダー・ハッケ
N.U.ウンルー
ヨッヘン・アルベイト
ルドルフ・モーザー

旧メンバーベアテ・バルテル
グートルン・グート
F.M.アインハイト
マーク・チュン
ローランド・ヴォルフ
2000年のライブ

アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einsturzende Neubauten)は、ドイツの実験的バンド。インダストリアル・ミュージックやノイズミュージックの代表的存在である。1980年西ベルリンブリクサ・バーゲルトを中心に結成。

インダストリアルやエレクトロニカに分類されることも多いが、ノイバウテンの活動とサウンドはこういったカテゴリーと必ずしも一致しない。彼ら自身の感性で独自のスタイルを確立し、実験的音楽を作り続けているバンドと言える。

自作の楽器(スクラップの金属片や建設用機材から作られること多し)やノイズを通常の音楽機材と合わせて使うことが、このバンドのトレードマークの一つ。しかし、その自作楽器の始まりは、音楽性の追究の果てに得た物ではない。メタルパーカッション(鉄板を扱ったドラム)を使ったことが自作楽器演奏の始まりとされているが、「当時、アンドリュー(N.U. Unruh)が金が無くて勝手にドラムを売ってしまい、代わりに鉄板を扱った」という偶然から生まれた産物であるとブリクサは語っている[1]

結成当初のノイズミュージックから、近年のアルバム『Silence is Sexy』に見られるような静寂の音響まで、ノイバウテンは常に音に対する探求を続けている。
バンド名

バンド名「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」は、「崩れ落ちる新しき建築物」という意味。英語では「Collapsing new buildings」。直接的にはブリクサ・バーゲルトの学生時代の友人の呟きから引用された。

「ノイバウテン」という単語には、高層の集合団地のようなニュアンスもある。また、第二次大戦後の大規模な復興開発や西ドイツの建設ラッシュによる戦後期の建築物件も連想させる。
活動歴
1980年 (活動開始)

1980年4月1日、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンはベルリンのMoon Clubにて初のライブを行った。この日をもって、バンドの活動開始とされている。この年、戦後期の「新建築」であるベルリンのコングレスホール(ドイツ語版)で崩落事故があり、バンド名はこれに対する言及でもある。当時のノイバウテンは、「Die Geniale Dilletanten(天才的ディレタント[2])」というダダイスト集団のライブ・セッションにすぎなかった。出演メンバーは、ベアテ・バルテル、グートルン・グート、ブリクサ・バーゲルト、N.U.ウンルー。このメンバーが後にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの名前でレコーディングを行うことになる。バルテルとグートの女性陣2名は短期間参加したのみで、すぐに脱退し女性バンド「Mania D」を結成した。また、サウンド面をリードすることになるマルチ・インストゥルメンタリストのアレクサンダー・ハッケ(当時15歳)がノイバウテンに参加、長期にわたってメンバーとして活動していく。

結成当初から現在に至るまでノイバウテンの象徴となっている「一つ目人間[3]」は、メキシコのトルテカ文明の遺跡の洞窟に描かれた壁画のものであり、ブリクサが1980年に書物から引用した。ノイバウテンのファンの中にはこの「一つ目人間」を刺青として彫っている者もあり、アメリカロックミュージシャンヘンリー・ロリンズは左肩に大きくこの刺青を入れていることで有名である(リンク先のヘンリーの写真を参照)。
1981年-1982年

1981年、ハンブルクで活動していたバンドAbwarts、及びパレ・シャウムブルク(英語版)の元メンバーであったF.M.アインハイトがパーカッション担当としてノイバウテンに参加し、最初のアルバム(LP)『コラプス(崩壊)(原題:"Kollaps")』 を発表。荒っぽいパンク・チューンとインダストリアル・ノイズを混ぜ合わせた未知のサウンドを生み出す。金属板や自作楽器といった機材と、様々な電子音が使われていた。F.M.アインハイトが参加していた80年代のライブ・パフォーマンスは、金属板の打ち鳴らしや機材破壊の大音量で伝説と化している。

なお、当時の音楽性からノイバウテンはノイズ、インダストリアル・ミュージック(時折パンク)として分類されるが、今日に至るまでブリクサは「我々はプログレッシブ・ロックをやっている」と主張している。

最初のドイツ・ツアーで、マーク・チュン(Abwartsの元ベーシスト)が参加。以後このラインナップが10年間続いていくことになる。
1983年-1984年

1983年、2枚目のアルバム『患者O.T.のスケッチ(原題:"Zeichnungen des Patienten O. T.")』を発表。タイトルは、「O.T.」こと統合失調症の芸術家オズヴァルト・チルトナー(英語版)のドローイングを紹介した、作家レオ・ナヴラティル(英語版)の本の題名から名付けられた。同年、ブリクサはニック・ケイヴとミック・ハーヴェイのバンド、ザ・バースデー・パーティー(英語版)に参加する。このバンドはすぐに解散したが、ニック・ケイヴらはニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズ(英語版)を結成した。ブリクサは2003年までノイバウテンとバッド・シーズの正規メンバーとして活動した。

1984年には未収録楽曲やミックス違いの曲を集めたコンピレーション・アルバム『"Strategies Against Architecture 80-83(対建築物戦略 80-83)" (独語題:"Strategien gegen Architekturen 80-83")』を発表した。

また、この年にはノイバウテンの版権を手がける音楽出版会社「Freibank」 が設立される。
1985年-1991年

1985年、『半分人間(原題:Halber Mensch[4]")』をリリース。曲の構成がより明確になり、断片的な言葉の叫びから詩的なメロディーまでもを行き来するブリクサの歌詞とヴォーカルが特徴的であった。

この年には初来日を果たしている。この際、主催者は公演会場を探すために全国紙で『廃墟求む』という広告を出し、ニュースで取り上げられるなど話題を呼んだ。諸事情により、結局公演は後楽園ホール大映京都撮影所で行われた。

1986年からはカナダバンクーバーを皮切りに3度目の北米ツアーを行う。バンクーバーでのライブは、ゲーテ・インスティトゥート(ドイツ文化センター)後援のもと、万博(EXPO’86)の公式演目として行われた。テスト・デパートメントスキニー・パピーの出演も計画されていたが、一部の演奏は適わなかった。

一方、日本では石井聰亙監督による映画『半分人間 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン ("Halber Mensch")』が公開された。この1時間のドキュメント映画は1985年に来日した際に収録された廃工場でのライブ、舞踏家集団「白虎社」のパフォーマンスから構成されており、1985年の日本ツアーの様子が一部収められている。


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