紋章地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:ブランデンブルク州
郡:オーダー=シュプレー郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度8分42秒 東経14度40分22秒 / 北緯52.14500度 東経14.67278度 / 52.14500; 14.67278
22,919人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:361 人/km2
郵便番号:15890
市外局番:03364
ナンバープレート:LOS
自治体コード:12 0 67 120
行政庁舎の住所:Zentraler Platz 1
15890 Eisenhuttenstadt
ウェブサイト: ⇒www.eisenhuettenstadt.de
首長:フランク・バルツァー (Frank Balzer , SPD)
アイゼンヒュッテンシュタット (Eisenhuttenstadt)は、ドイツのブランデンブルク州オーダー=シュプレー郡の都市。人口は約23,000人。 ポーランドとの国境であるオーデル川に面している。アイゼンヒュッテンシュタット近辺から、オーデル川と首都ベルリンを流れるシュプレー川とを結ぶオーデル・シュプレー運河 元々アイゼンヒュッテンシュタットのあった場所は第二次世界大戦の終わりまで都市は存在せず、近くにフュルステンベルク (オーダー)
地理
歴史
戦後この地はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となったが、東ドイツ政府によって製鉄所を中心として、周りに居住地域を配した計画都市を建設することになり、大都市から離れ、水運や鉄道の便にも恵まれたこの地が選ばれた[2]。
当初は「製鉄コンビナート近郊都市」と暫定的に呼ばれていたが、1953年にソビエト連邦の最高指導者スターリンが没した際、彼を記念して「スターリンの都市」を意味する「スターリンシュタット (Stalinstadt)」と命名された[3] 。
「スターリンシュタット」の命名式に臨むドイツ社会主義統一党書記長ヴァルター・ウルブリヒトとイワン・イリイチェフソ連大使
建設工事中の「レーニン大通り」の街路。奥に製鉄所が見える。
東ドイツ建国12周年の記念パレード(1961年)
建設される集合住宅(1966年)
しかし、1956年にソ連でスターリン批判が起こり、スターリンへの個人崇拝が否定されるようになったため、1961年に「製鉄所の都市」を意味する「アイゼンヒュッテンシュタット」に改称され[3](なお、スターリンの語も「鋼鉄」の意味を含む)、その際にフュルステンベルクとシェーンフリースもアイゼンヒュッテンシュタットに吸収合併された[2]。
以後、製鉄コンビナートである「東部製鉄コンビナート」(Eisenhuttenkombinat Ost. 通称:EKO 2017年現在はアルセロール・ミッタルグループのアルセロール・ミッタル・アイゼンヒュッテンシュタット(ドイツ語版))の労働者のための住宅が整備されていき、式典が開催できる巨大広場・マギストラーレと呼ばれる大通り、7つの居住区、商業施設などが整備され、発展を遂げた。