憲章都市 (Statutarstadt)章
位置
アイゼンシュタットの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度51分 東経16度31分 / 北緯47.850度 東経16.517度 / 47.850; 16.517
アイゼンシュタット(ドイツ語: Eisenstadt 発音, ハンガリー語: Kismarton; キシュマルトン, クロアチア語: ?eljezno)は、オーストリア東部の都市。ブルゲンラント州の州都。郡に属さない憲章都市(Statutarstadt)であるが、アイゼンシュタット=ウムゲーブング郡の郡庁が置かれている。 都市の周辺は葡萄畑に囲まれており、また都市周辺部には緑の多い自然豊かな都市である。 ハンガリー貴族であったエステルハージ家が支配した地域で、エステルハージ城(邸宅)がある。また、当家に仕えたハイドンゆかりの地としても著名である[1]。 北部にはユネスコの世界遺産に登録されているノイジードル湖があり、ヨーロッパ最大の遠浅の湖として知られる。 4つの区に分けられる。 ハルシュタット時代からの遺物が見出される。ケルト人、ローマ人がその後移住した。民族移動記にゲルマン系の住民と、フン族も居住した。800年ごろ、カール大帝治下フランク王国の領域に入り、バイエルン人の移住が始まる。1118年に「"castrum ferrum"(鉄の城)」として初めて文献に現れる。1264年には「"minor Mortin"(小さいマルトン)」と、ハンガリー語名のキシュマルトンに対応する形で現れる。 中世後期から第一次世界大戦までは概ねハンガリー王国(オーストリア帝国時代含む)の一部であった。第一次ウィーン包囲に際しては、前線地帯として1529年から1532年までオスマン帝国の支配下となった。 1921年、トリアノン条約とサン=ジェルマン条約により、オーストリア共和国の一部となる。1925年からはブルゲンラント州の州都となっている。第二次世界大戦中は激しい爆撃を受けた。
概要
地理
オーバーベルク
ウンターベルク
クラインヘーフライン/キシュヘフラーニ Kleinhoflein/Kishoflany
ザンクト・ゲオルゲン/ライタセントジェルジ St. Georgen a. Leithagebirge / Lajtaszentgyorgy / Sveto Jurje
歴史
見所
博物館
ハイドン博物館 - フランツ・ヨーゼフ・ハイドンに関する博物館。ハイドンの住居跡を改装したもので、規模としては資料館に近い。アイゼンシュタットでは小規模だが「ハイドン音楽祭」が開催される
州博物館
オーストリア・ユダヤ博物館
司教区民博物館 - ローマ・カトリックのアイゼンシュタット司教区
消防博物館
宮城
エステルハージ城、邸宅庭園