アイスレーベン
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「アイスレーベン」は現在のザクセン=アンハルト州の都市について説明しているこの項目へ転送されています。その他の用法については「アイスレーベン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ザクセン=アンハルト州
郡:マンスフェルト=ズュートハルツ郡(ドイツ語版)
緯度・経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度31分00秒 東経11度33分00秒 / 北緯51.51667度 東経11.55000度 / 51.51667; 11.55000
標高:海抜 114 m
面積:143.81 km2
人口:

22,404人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:156 人/km2
郵便番号:06295
市外局番:03475, 034773, 034776
ナンバープレート:MSH, EIL, HET, ML, SGH
自治体コード:15 0 87 130
地区数:11地区
行政庁舎の住所:Markt 1
06295 Lutherstadt Eisleben
ウェブサイト: ⇒www.eisleben.eu
上級市長:ユッタ・フィッシャー (Jutta Fischer, SPD)
郡内の位置

市庁舎と聖アンドレアス教会ルターシュタット・アイスレーベン、2015年7月

ルターシュタット・アイスレーベン (ドイツ語: Lutherstadt Eisleben) は、ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州マンスフェルト=ズュートハルツ郡(ドイツ語版)に位置し、同郡で2番目に大きな都市である。ハルツフォアラント(ドイツ語版)東部にあたり、人口は約22,000人である。日本では単に「アイスレーベン」と呼称、略称されることもある(本項でも当該略称を使用する)。

マルティン・ルターが生誕し、死去した地として有名である。最も偉大な出身者を記念して1946年以降、都市名に「ルターシュタット(ルター都市)」を冠している。アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群は、1996年からユネスコ世界遺産に登録されている[2][3]。アイスレーベンは、ルターシュタット連合に加盟している。アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター関連施設は、ザクセン=アンハルト州ルター記念財団(ドイツ語版)にまとめられている。
地理

中心部はハレ (ザーレ)から西に30 kmにある。細長く伸びる低地は、アイスレーベン低地(ドイツ語版)と呼ばれ、マンスフェルト=ズュートハルツ郡の南東部に位置する。都市の領域はほとんどが農地である。地形はウンターリスドルフとオーバーリスドルフの間でマンスフェルト高原(ドイツ語版)、ミッテルゲビルゲ高原の低い部分へ高さを増し、市街地は高原の主要地を占める。市街地の南部は森林が生い茂る丘陵であるホルンブルク鞍部(ドイツ語版)へと延び、南端のオスターハウゼン地区はほとんどヘルメ渓谷(ドイツ語版)にかかっている。

マンスフェルト
10 kmアシャースレーベン(ドイツ語版)、ヘットシュテット(ドイツ語版)
27 km, 15 kmゲルプシュテット(ドイツ語版)
12 km
ザンガーハウゼン(ドイツ語版)
19 kmハレ (ザーレ)
34 km
   ルターシュタット・アイスレーベン   

アルシュテット(ドイツ語版)
22 kmクヴェーアフルト(ドイツ語版)
16 km

近隣の自治体

隣接する自治体には、北部ではゲルプシュテット(ドイツ語版)、東部ではゼーゲビート・マンスフェルダー・ラント(ドイツ語版) 、南部ではファルンシュテット(ドイツ語版)、クヴェーアフルト(ドイツ語版)(両自治体ともザーレ郡(ドイツ語版))、西部では、アルシュテット(ドイツ語版)、ボルンシュテット(ドイツ語版)、ヴィンメルブルク(ドイツ語版)、ヘルギスドルフ(ドイツ語版)、ヘルブラ(ドイツ語版)、クロスターマンスフェルト(ドイツ語版)がある。
都市構成

中心市街地には、エルンスト=テールマン=ジードルング(ドイツ語版)、ヴィルヘルム=ピークジードルング(ネッケンドルフ[4] とオーバーヒュッテ[5]を含む)が含まれる。この他の地区は以下の通り。編入の日付[6][7][8][9][10][11]を付加する。

地区人口編入年月日アイスレーベンの地区

ヘルフタ(ドイツ語版)約6,0001960年1月1日
フォルクシュテット(ドイツ語版)1,2712004年1月1日
ローテンシルムバッハ(ドイツ語版)6722005年1月1日
ヴォルフェローデ(ドイツ語版)1,3092005年1月1日
ポルレーベン(ドイツ語版)1,0792006年1月1日
ウンターリスドルフ(ドイツ語版)4612006年1月1日
ビショーフローデ(ドイツ語版)6932009年1月1日
オスターハウゼン(ドイツ語版)1,0312009年1月1日
シュマルツェローデ(ドイツ語版)2882009年1月1日
ヘダースレーベン(ドイツ語版)7552010年1月1日
オーバーリスドルフ(ドイツ語版)約2002010年1月1日
ブルクスドルフ(ドイツ語版)1962010年1月1日


河川・湖沼

都市領域には、複数の小川が流れる。中心市街地には例としてベーゼ・ジーベン(ドイツ語版)小川(「悪い7」の意)がある。フォアハルツから流れる7つの小川が合流したものであり、以前は特に壊滅的な洪水をもたらしたことから「ベーゼ(悪い)」と名付けられている。ベーゼ・ジーベン小川は東へ流れ、ズュース湖(ドイツ語版)(「甘い湖」)に注ぐ。他の河川には、北部のシュランツェ川(ドイツ語版)があり、ポルレーベンに源を発し北東に流れ、ザーレ川に 注ぐ。シュランツェ川も洪水時に特に急激に水位が上昇することがある。小さな河川としてはグルーメ川 (Glume) が挙げられる。ヘルブラ南部に源を発し、アイスレーベン東部でベーゼ・ジーベン小川に合流する。より小さな小川には、ラヴェーケ (Laweke) 小川があり、ヘダースレーベン地区に源を発し、東に流れる。美しい景観は、フォルクシュテット南部のヘーゲボルンバッハ (Hegebornbach) 小川による渓谷である。小川はフォルクシュテット西部に源を発し、アイスレーベン東部でグルーメ川に合流する。南部で重要な河川は、ローネ川 (Rohne) であり、ボルンシュテット付近に始まり、オスターハウゼン地区を流れる。
気候アイスレーベン=ヘルフタの気候グラフ[12]

アイスレーベン=ヘルフタの平均気温は8.5℃であり、年間降水量は509ミリメートルである。年間降水量は非常に低く、他のドイツ国内の観測値の中で下位の20分の1に含まれる。ドイツ気象庁の 観測地点のわずか2%が、これよりも低い値を観測している。最も乾燥した月は2月であり、降水量のほとんどは6月である。6月では2月に比べて1.9倍以上の降雨がある。降水量はほとんど変化せず、年間を通じて非常に均等に分布している。これよりも低い季節変動が観測地点は、わずか7%である。
歴史
民族大移動期

3世紀から5世紀の民族大移動時代には、スエビ族の諸部族、アンゲル族、ヴァルネ族(ドイツ語版)がホルシュタインシュレースヴィヒメクレンブルクの地から南方へ移動した。テューリンゲンまでのエルベ川ザーレ川の西部には、この移動が地名の語尾「-レーベン (-leben)」からうかがい知ることができる。例えば、ハルデンスレーベン(ドイツ語版)とエアフルトの間にある約100の都市や村の名称がこうして生まれた。ヘルマン・グレースラー(ドイツ語版)によると、「レーベン」はこの文脈では遺産、世襲地を意味する。地名の前部は、領主の種族と関連する[13]

5世紀には、移住者が先住のヘルムンドゥリ族(ドイツ語版)と混交し、テューリンゲン族(ドイツ語版)の国に属していたが、この国は531年にフランク族によって滅ぼされた。北テューリンゲンはザクセン族が征服し、定住した。その後は、フランク族の諸王が、いくつかの地域にシュヴァーベンヘッセンフリースラントから農民を入植させた。こうしてシュヴァーベンガウ(ドイツ語版)、ヘッセガウ(ドイツ語版)、フリーゼンフェルト(ドイツ語版)といった地方名ができた[13]


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