アイスリンゲン/フィルス
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:シュトゥットガルト行政管区
郡:ゲッピンゲン郡
市町村連合体:アイスリンゲン=オッテンバッハ=ザラハ自治体行政連合
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度41分36秒 東経09度42分24秒 / 北緯48.69333度 東経9.70667度 / 48.69333; 9.70667座標: 北緯48度41分36秒 東経09度42分24秒 / 北緯48.69333度 東経9.70667度 / 48.69333; 9.70667
標高:海抜 336 m
面積:16.41 km2
人口:

21,329人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:1,300 人/km2
郵便番号:73054
市外局番:07161, 07165
ナンバープレート:GP
自治体コード:

08 1 17 019
行政庁舎の住所:Schlossplatz 1
73054 Eislingen/Fils
ウェブサイト:www.eislingen.de
首長:クラウス・ハイニンガー (Klaus Heininger)
郡内の位置

地図

アイスリンゲン/フィルス(ドイツ語: Eislingen/Filsが公式表記で、読みはアイスリンゲン・アン・デア・フィルス、ドイツ語発音: [?a?isl???n] ( 音声ファイル)[2])は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区ゲッピンゲン郡に属す大規模郡都市である。
地理

アイスリンゲンはフィルスタール(フィルス川の谷)の支流クルム川の河口沿い、高度320から480メートルにに位置し、レギオン・シュトゥットガルト(シュトゥットガルト地方(ドイツ語版、英語版)、1992年まではネッカー川中流地域)に含まれる。隣接する市町村は、西から時計回りにゲッピンゲンオッテンバッハザラハジューセン、ゲッピンゲン=ホルツハイム地区である。
市の構成

自治体アイスリンゲン/フィルスには、中心地区アイスリンゲン/フィルスの他、エッシェンベヘ小集落、クルムヴェルデン市区、農場集落のネーハーホーフ、シュトゥンペンホーフ、テーレスホーフ、および廃集落のエーレンシュテッテン、ブルネンヴァイラー、ハンメルツヴァイルが含まれる[3]。かつてブルネンヴァイラーがあった地区には現在、同名の住宅地が建設されている。
土地利用

用途面積 (ha)占有率 (%)
住宅地20812.7
商工業地1247.5
レクリエーション用地301.8
その他市街地432.6
交通用地1438.7
農業用地75446.0
森林30118.4
水域150.9
その他231.4
合計1641100

2022年現在の州統計局のデータに基づく[4]
歴史
史料以前

紀元後125年頃、現在のアイスリンゲンに木と土でできたローマ城砦(カステル・アイスリンゲン=ザラハ)が建設された。そのラテン名や兵舎は判っていない。この城砦は、159年リメスフィルスタールからレムスタールに移動した際におそらく放棄された。この城砦はラエティアゲルマニア・スペリオルとの境界にあったと推測されるが、その境界がアイスリンゲンのどこを南北に通っていたかは精確に分かっていない。500年頃のアレマン人集落の古い痕跡が遺されている。ゲッピンゲンとの市境付近で発見されたフィブラは、3世紀後半の定住を示す可能性がある。
Isininga und Uslingen と記録される古代史

アイスリンゲンは、861年にヴィーゼンシュタイク修道院の文書に Isininga という名前で記録されている。それから約250年後にヴュルテンベルクが Uslingen に初めて所領を得たが、1100年頃にはブラウボイレン修道院(ドイツ語版、英語版)の所有となっていた。後のグロースアイスリンゲンが、この古い Isininga、Uslingen および Isiningen から成立した。クラインアイスリンゲンは、もっと後の時代に成立したか、または認識されたため、この名前で呼ばれたのである。旧アイスリンゲン城(現在は市立図書館)
グロースアイスリンゲンの歴史

1343年にグロースアイスリンゲン (Isiningen) は、レヒベルク家の所領からヴュルツブルク司教領(ドイツ語版、英語版)となった。1492年ヴュルテンベルク伯エーバーハルト5世(後のエーバーハルト髭公)が村の 1/3 を購入した。このグロースアイスリンゲンのヴュルテンベルク家所有部分は神聖ローマ帝国の終わりまでこの状態にあったが、村のヴュルツブルク司教領部分の支配はかなり錯綜した。

1769年にアイスリンゲン城がヴェルデン男爵コンスタンティン・アドルフによって建設された。時代の流れとともに1803年までグロースアイスリンゲンでは支配者の交替や分割が頻繁に行われた。このため、村に3つの部分が存在し、この村は長らくの間ヴュルテンベルクの帝国騎士権とヴュルツブルクの権利とが重なる Territorium non clausum(直訳: 非完結領域)とされた。同様の領主関係は特にフランケン地方で知られている。1803年以前、この村はヴュルテンベルク家が 1/3、ヴュルツブルク領および帝国直轄騎士領が 2/3 という状態であった。1803年の帝国代表者会議主要決議によってヴュルテンベルク領以外の 2/3 がデーゲンフェルト=ショムブルク伯領からバイエルン選帝侯領となった。3年後の1806年にこの領域は、現在のゲッピンゲン郡の他の部分とともにバイエルン王国からヴュルテンベルク王国に移譲され、オーバーアムト・ゲッピンゲンに編入された。1683年にアンドレアス・キーザーの森林簿に描かれたクラインアイスリンゲン
クラインアイスリンゲンの歴史

クライスアイスリンゲンは、歴史的な交易路でヨーロッパ全土に広がっていた交易ネットワークの一部をなしていたフィルス街道沿いに位置している。このため大変に古くから交通および市場活動が盛んであった。1492年にヴュルテンベルク伯エーバーハルト髭伯がゲッピンゲン市民ヴェルナー・ヴェルンホイザーの遺族からクラインアイスリンゲン村 (Clein-Yslingen) を買い取った。これによりこの村は、ヘルフェンシュタイン伯(ドイツ語版、英語版)が所有していた森を除いて、1492年からヴュルテンベルク領に属した。
クルムヴェルデンの歴史

クルムヴェルデン集落は1275年に初めて記録されている。この集落はグロースアイスリンゲンに属す小集落として歴史の多くを共有し、両アイスリンゲンが合併して新たな市となった際にもこれに従った。
合併以前の両アイスリンゲン共通の歴史

近世、この町は、特にフィルスタール鉄道に接続したおかげで工業化が発展した。アイスリンゲン (フィルス) 駅は、1847年にフィルスタール鉄道の施設として初代駅舎が建設され、これよりヴュルテンベルクの鉄道網に接続した。

1873年にアイスリンガー・トゥルンフェライン(アイスリンゲン体操クラブ)が設立された。1933年9月24日、グロースアイスリンゲン(現在のノルトシュタット)とクラインアイスリンゲン(現在のジュートシュタット)が合併してアイスリンゲン/フィルスという名称となり、市に昇格した。
合併後のアイスリンゲン市の歴史

ナチ時代ヴュルテンベルクの行政改革によりアイスリンゲンはゲッピンゲン郡に編入された。1940年にシュトルットジートルングの建設が始まり、戦後の1951年からは隣接するフォーゲルガルテンジートルングに引き継がれた。1945年にこの街はアメリカ占領地区(ドイツ語版、英語版)の一部となり、新設されたヴュルテンベルク=バーデン州(ドイツ語版、英語版)に属した。この州は1952年に現在のバーデン=ヴュルテンベルク州に再編された。旧ドイツ東部領土からの難民の流入により市は大きく発展し、1960年代には人口15,000人を超えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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