アイスリボン
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アイスリボンは、日本女子プロレス団体。運営はネオプラス アイスリボン事業部。キャッチフレーズは「プロレスハッピー!」。
概要

2006年3月20日さくらえみmixiのプロジェクトとして設立。さくらがこのプロジェクトを始めた後に、そこで結成されたユニット「アイスリボン軍」が女子プロレス団体として独立したのがアイスリボンである。そのため、全日本女子プロレスジャパン女子プロレスの系譜には属しておらず、独自の路線で人気を獲得してきた。なお、ネオプラスの事業部移管と同時に、同社代表の佐藤肇が事業部長(アイスリボン代表)に就任。

2012年1月、さくらが退団するとマッチメイクなどの業務は、元NEO女子プロレス代表取締役社長で、アイスリボン旗揚げにも尽力した甲田哲也を経て佐藤へと引き継がれた。現在は主に取締役選手代表の藤本つかさがマッチメイクを行っている。選手育成に関しては、さくら、藤本、志田光などが、その時点でのリーダー格選手が指導してきたほかに、外部から男子選手や格闘家などもコーチとして招いている。かつては高橋奈苗日高郁人がコーチを引き受けていた時期もあった。
特徴
運営

初期には通常のプロレスのリングを使用せず、低反発マットの上で試合を行っていた。手軽に行える反面、ロープやコーナーポストの存在を前提とする攻撃方法が使用できないため、特に上位の選手には柔軟かつ大胆な発想(いわゆる「プロレス頭」)が求められる。当初はウレタンマットを用いていたが後に薄いユニエバーの青いマットに切り替えられた。また、コーナーポストの代用品として赤と青のテープが、それぞれ貼られた脚立が使われる。そのメリットとして、次のことが挙げられる。

予算削減。

持ち運びが容易である。

観客との距離が近くなる。

後に通常より一回り小さいリングが常設された道場兼試合会場を作ったため、マットでの試合はリングが設営できそうもない場所での出張興行で使用する程度となる。なお、さくらえみが退団後にタイで旗揚げしたプロレスリング我闘雲舞が日本での一部興行を除き同様の形態で開催している。

道場兼試合会場の完成後は原則として隔週(さくらの時代は毎週)水曜と毎週土曜にアイスリボンの道場で開催される他、1、2ヶ月に1回程度の頻度で後楽園ホール新宿FACE新木場1stRING、両国KFCホール、ラジアントホールなど外部の試合会場でビッグマッチを開催している。後楽園ホール大会は年3回程度であったが2015年は旗揚げ10周年記念大会を6回開催して同年に限ればスターダム(12回)、プロレスリングWAVE(7回)に次ぐ数字である。以降は年数回の後楽園ホール大会が定着している。そのため、年間100大会以上にも上り、これは巡業形態を採らないプロレス団体では最も多い。2010年まで北沢タウンホール板橋グリーンホールではNEO女子プロレスとの昼夜興行として開催していた。首都圏以外では札幌仙台千葉横浜川崎長野岐阜大阪広島名古屋福岡などでも開催実績がある。地方興行の中にはアイスリボン単独での開催の他に親会社のネオプラスが参画する大日本プロレス日本各地のローカル団体との昼夜興行となる場合もある。不定期で他団体との合同興行や試合提供を行うこともある。

興行では写真撮影と動画撮影は禁止している(道場マッチや板橋グリーンホールでは紙テープの投げ入れも禁止している)。これについては肖像権の問題もあるが「カメラを持ってると拍手ができないため」と、さくらがコメントしている[1]。ただし、「シャッターリボン」と呼ばれる写真撮影を認めている興行も月1回開催している。さくらが退団後の新生アイスリボンでも継続されて我闘雲舞でも同様の措置が採られている。

興行の模様は原則として道場マッチが2大会、ビッグマッチが1大会ごとにDVD化されて、それをネオプラスが販売している。
育成

所属選手は旗揚げからOZアカデミー女子プロレスプロレスリングWAVEユニオンプロレス兼任所属していた紫雷美央(2015年引退)を除き、基本的に元我闘姑娘(他団体経由含む)あるいは所属選手としてデビュー(再デビュー含む)した選手のみで構成されている。2016年1月、我闘姑娘出身最後の1人になった希月あおいの退団により、所属選手は全員生え抜き選手、そして半数以上が新生アイスリボンでのデビューとなる。2017年、女子格闘技界からTeam DATEの4名が入団している。

アイスリボンが開講しているプロレスサークル(さくらの時代はプロレス教室)などでトレーニングを重ねた後に練習生となるが他団体のようなプロテストは課されることなく、アイスリボンがトレーニングの成果をエキシビションなどで見極めた上でデビューに至る。このエキシビションを公開プロテストと見る向きもあるが藤本つかさ成宮真希のようにエキシビションなしでデビューした選手も存在している。

旗揚げ当初は我闘姑娘の流れから小学生や中学生がデビューもしくは我闘姑娘から移籍してきたが2009年の段階で小学生レスラーはアイスリボン生え抜きの、りほ(現:里歩)のみとなり、以降は他団体と同様に15歳以上の新人選手がデビューするようになる。2010年1月より、久しぶりの小学生レスラーの卵である、つくし(4月に中学進学)と、くるみ(2012年4月に中学進学)が練習生として加わった。新生アイスリボンでは小学生のデビューこそ皆無だが中学生としては2013年に弓李優華がデビューしている(両者とも2014年中学卒業)。2017年に入団した華蓮DATEは13歳でデビューしている。同年には星いぶき朝陽も中学生でデビュー。2021年には咲蘭が12歳でデビュー。

年齢や体格を問わずに入門者を広く受け入れており、兼業も認めている。また映画とのコラボレーション企画などを通じてタレントをスカウトすることもある。そのため、学生、グラビアアイドル、女優や総合格闘家として活動する選手や主婦、OL兼業の選手もおり、バラエティ豊かな構成となっている。また、多くの団体が若手育成に苦戦する中で独自の選手育成システムを構築することで選手の定着率を上げている。ただし、所属選手のまま長期休業しているレスラーもいる。

さくらの時代にデビューした選手のリングネームはタレント出身者を除きほとんどは、さくらが独断で命名しており、特にしもうま和美以降は地名を使った命名が目立つようになっている。ちなみに地名の付かない選手は「正統派」であるとされる(2011年3月18日の19時女子プロレスにてコメント)。新生アイスリボンでも地名由来の選手として世羅りさ長崎まる子がいる。

さくらの時代は退団してフリー、あるいは他団体に移籍した選手を出戻りとしてマットに上げることはしなかった。ただし、松本都は2011年の退団時こそさくらより、「アイスリボンのリングに2度と上げない」と通達されていたが半年後に出戻り参戦を果たして年明けの、さくら退団後はレギュラー復帰している。2013年には真琴も約2年ぶりに参戦して現在は定期参戦。成宮真希希月あおいも引退直前には数度参戦。
マッチメイク

道場での試合終了後は必ず座談会が行われて各所属選手のマイクパフォーマンスが聞ける。その内容と試合後に観客に配布されるアンケートに記載される意見が次回大会のカード編成に繋がっている。ストーリー性やテーマに富んだカードが多い半面、他団体に比べ各大会のカード発表が著しく遅いという傾向も見られる。

典型的なヒールレスラーはおらず(かつて腹黒キャラ都宮ちいや中途入団の紫雷美央がいた程度)、年齢とキャリアが比例しないため、世代間抗争も余り見られない。他団体との抗争も少なく、2010年9月23日の後楽園大会で同じ2006年に旗揚げされたセンダイガールズとの団体対抗戦で全敗したのがきっかけでセンダイガールズとの団体間抗争に発展したが2011年12月25日の後楽園大会で、さくらえみ&つくし組がインターナショナル・リボンタッグ王座を懸けて里村明衣子&仙台幸子組に勝利したことで一応の終結となった(2008年から始まったセンダイガールズとの関係は抗争終結後も継続中)。一方、2012年9月23日の後楽園ホール大会でプロレスリングWAVEとも団体対抗戦を行ったが、こちらはWAVEに一部選手がレギュラー参戦する程度で本格的な抗争には至っていない。

トーナメント戦の開催は、さくらの時代にあったもののリーグ戦は一切行わなかった(JWPスターダムのリーグ公式戦を興行内で組んだことはあった)。しかし、新生アイスでは2013年に成宮真希が負傷のため返上したICE×60王座を懸けて初のリーグ戦を開催している。
参戦選手

特色の1つとして、フリーやインディー団体(主にプロレスリングZERO1大日本プロレスDDTプロレスリング系列、プロレスリングFREEDOMSKAIENTAI DOJO)などの男子レスラーの参戦が他団体より多いこと(さくらがデビューした団体が男女混合だったことも影響している)が挙げられて以前はアイスリボン男子部と呼ばれていた(男子の試合をメインとした興行も1度だけあった)。


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