アイザック・メリット・シンガー
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アイザック・メリット・シンガー
Isaac Merritt Singer の肖像画(作 Edward Harrison May、1869年)
生誕 (1811-10-27) 1811年10月27日
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ピッツタウン(英語版)
死没1875年7月23日(1875-07-23)(63歳)
イギリス デヴォン ペイントン
国籍 アメリカ合衆国
業績
所属機関Singer Sewing Machine Company
成果ミシン

アイザック・メリット・シンガー(Isaac Merritt Singer、1811年10月27日 - 1875年7月23日)は、アメリカ合衆国発明家俳優起業家ミシンの設計に重要な改善を施し、Singer Sewing Machine Company を創業[1]
生い立ち

1811年10月27日、ニューヨーク州 Pittstown に生まれる。Adam Singer と最初の妻 Ruth Benson の間にできた最後の子だった。父はドイツからの移民であり、もとの姓は Reisinger といった。その名前からユダヤ系ハンガリー人の先祖をもつと考える学者もある[2]

1830年、キャサリン・マリア・ヘイリーと結婚。1831年ごろ、ニューヨークに引っ越した。一時期、妻の両親と同居していたと思われる。1833年夏までに再び引越し、ニューヨーク州オチゴ郡に移った。結婚前には兄の機械工場で働いていたことがあり、そこで機械についての商売を学んでいた。オチゴ郡では Fly Creek という村で George Pomeroy の機械工場で働くようになった。

キャサリンとの間には、ウィリアム(1834年生)とリリアン(1837年生)という2人の子をもうけた。1835年、妻と最初の子を連れてニューヨークに移り、プレス工場で働いた。1836年、代理人として取引先まで出張し、旅先で立ち寄ったボルチモアでメアリー・アン・スポンスラーと出会い、彼女にプロポーズした(実際に結婚することはなかった)。1837年ニューヨークにメアリー・アンを伴って戻った。この年、2人目の子が生まれている。妻のキャサリンはリリアンを残して出て行き、アイザックはメアリー・アンとの間に男の子をもうけた。キャサリンとの家庭は壊れたが、離婚が成立するのは1860年である。

ニューヨークにメアリー・アンを連れてきて、シンガーが既婚者だったことを知ると、彼女はシンガーと共にボルチモアに戻り、周囲には結婚したと紹介している。
最初の発明

1839年、シンガーは最初の特許として、岩盤掘削機械を発明し、それを2000ドルで売却した。この金額は彼にとっては大金だった。これで経済的に余裕ができたため、俳優としての夢を追求するようになった。彼は "Merritt Players" という一座を結成し、公演の旅に出た。自身はアイザック・メリットの名で舞台に立ち、メアリー・アンもミセス・メリットとして舞台に出た。旅公演は5年間続いた。

1844年、アイザックはオハイオ州フレデリクスバーグの印刷工場で職を得たが、1846年にはピッツバーグに移り、木型と看板を製作する木工所を立ち上げた。ここで「木や金属を彫刻する機械」を開発し、1849年4月10日に特許を取得している。

38歳のとき、2人の妻と8人の子がいたが、全員でニューヨークに戻り、その木彫機械を売り込もうとした。まず、実働する試作品を製作するため、A. B. Taylor & Co. という工場で組み立てを行った。しかし試作品が完成して間もなく、工場のボイラーが爆発して試作品は灰燼に帰した。爆発する少し前、ボストンの機械工場の経営者オーソン・C・フェルプスが試作品のことを聞きつけていた。彼は彼の工場でその機械を組み立ててみないか、とシンガーを誘った。

シンガーは1850年にボストンに行き、フェルプスの機械工場でその機械を組み立てた。しかし、シンガーの木彫機械の注文はなかなか来なかった。同じとき、レローとプロジェットのミシンもフェルプスの機械工場で組み立てられていた。フェルプスはシンガーにミシンを見てもらった。このミシンは使い勝手が悪く、製造も難しかった。シンガーは、シャトル(ボビンケース)を回転させるのではなく直線的に動かすようにして、針も曲がった針ではなく真っ直ぐな針を使えば、このミシンはもっと信頼性が増すのではないかと気づいた。その改良に基づいて、シンガーは1851年8月12日に特許(US特許番号 8294)を取得。シンガーの作ったミシンの試作品は、初の実用的ミシンであった。
ミシンの設計シンガーミシン(詳細1)シンガーミシン(詳細2)

シンガーはミシンを発明したわけではないし、そのように主張したこともない。1850年にシンガーがミシンを初めて作るまでに、ミシンは4回「発明」されている。ウォルター・ハント以前のミシンは全てチェイン・ステッチ(単環縫い)であり、ほどけやすいという欠点があった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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