アイザック・バシェヴィス・シンガー
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アイザック・バシェヴィス・シンガー

誕生 (1903-11-11) 1903年11月11日
ロシア帝国(現 ポーランド) ラジミン
死没1991年7月24日(1991-07-24)(87歳)
アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ
職業作家
言語イディッシュ語
民族ポーランド系ユダヤ人
市民権 アメリカ合衆国
ジャンル散文
主な受賞歴ノーベル文学賞(1978)
ウィキポータル 文学
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1978年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:「ポーランド・ユダヤ文化の伝統に根ざし、生命に普遍的な人間の条件をもたらす情熱的な文芸作品に対して。」

アイザック・バシェヴィス・シンガー(Isaac Bashevis Singer: イディッシュ表記イツホク・バシェヴィス・ジンゲル:???? ???????? ??????あるいは???? ???????? ?????? )(1903年11月11日[1] - 1991年7月24日)はポーランド生まれのアメリカノーベル賞作家。イディッシュ作家として初めてノーベル文学賞を受賞した。動物の権利擁護活動家の先駆者としても知られていた[2]
生涯

当時ロシア帝国領だったワルシャワ近郊のラジミン(英語版)で生まれる。生まれた時の名前はイツェク=ヘルシュ・ジンゲル(Icek-Hersz Zynger)。父は敬虔派(ハシディズム)のラビで、母バトシェバはラビの娘。筆名のバシェヴィスとは、バトシェバの息子という意味である。兄のイズラエル・ジョシュア・シンガー(英語版)(イディッシュ名イスロエル・イェホイシュエ・ジンゲル)も高名な作家で、弟アイザックに最初の、そして最大の文学的影響を与えた。父はラビであると同時に判事でもあり、ワルシャワの敬虔派ユダヤ教徒の精神的指導者でもあった。

ワルシャワの貧しいユダヤ人街とビウゴライ(英語版)のシュテートルイディッシュ語に取り巻かれて育ち、1920年ユダヤ教の神学校に入学したが、やがてビウゴライに戻ってヘブライ語の教師で糊口をしのいだ。ラビを養成する学校での教育は彼に大きな影響を残したが、それと同時に文学にも惹かれており、文壇に迎え入れられることを熱望するようになった。1923年にワルシャワへ移り、兄イズラエルが編集するLiterarische Bleter誌で校正者として働きつつ、兄イズラエルから多大な精神的啓発を受け、また新時代の息吹を吹き込まれた。

1932年、処女作『ゴライの悪魔(英語版)』をポーランドで上梓して文壇デビューを飾る。中世のイディッシュ年代記に擬したスタイルで、17世紀の贋メシアシャバタイ・ツヴィを取り巻く出来事を描いた小説である。この作品の登場人物は、シンガーの他の作品の登場人物と同様、運命の気まぐれにしばしば翻弄されつつも、固有の情熱や狂気、偏見、妄執を失わない。後年の作品『奴隷』(1962年)でも17世紀を扱っているが、こちらはユダヤ人男性と非ユダヤ人女性の愛の物語である。

1935年に兄を追って渡米。反ユダヤ主義から逃れる目的もあった。このころ、シンガーは最初の妻ラヘルと離婚。ラヘルは息子イスラエルを連れてモスクワへ、次いでパレスチナへ移った。シンガーはニューヨークに居を定め、イディッシュ紙『フォルヴェルツ(??????????: 前進)』でジャーナリストとして、またコラムニストとして働き始めた。執筆はほとんどイディッシュ語のみで行い、ヴァルショフスキ(Warszawski、ワルシャワっ子)という筆名を使うこともあった。1940年ドイツ移民アルマ・ハイマン(Alma Heimann)と再婚。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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