アイザック・アシモフ
Isaac Asimov
若い頃のアシモフ(1965年)
ペンネームDr. A, Paul French, George E. Dale
誕生1920年1月2日
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ペトロヴィッチ
死没 (1992-04-06) 1992年4月6日(72歳没)
アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市
ブルックリン区
職業生化学者
作家
エッセイスト
短編小説家
教科書作家
ユーモア作家
歴史家
ジャンルサイエンス・フィクション(ハードSF)
ポピュラー・サイエンス
ミステリー
随筆
文芸評論
文学活動サイエンスフィクションの黄金時代
主な受賞歴ヒューゴー賞
ネビュラ賞
ローカス賞
デビュー作「真空漂流」
影響を受けたもの
クリフォード・D・シマック[1]
H・G・ウェルズ
スタンリー・G・ワインボウム
アイザック・アシモフ(Isaac Asimov、1920年1月2日 - 1992年4月6日)は、アメリカ合衆国の生化学者(ボストン大学教授)・作家。その著作は500冊以上を数える[2]。彼が扱うテーマは科学、言語、歴史、聖書など多岐にわたり、デューイ十進分類法の10ある主要カテゴリのうち9つにわたるが[3][注 1]、特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られている。
日本語では「アシモフ」と「アジモフ」[4]などの表記揺れがあり、前者が一般的ではあるが、本人が望んでいた読みは後者の発音に比較的近い[?a?z?k ?az?m?v]である[注 2]。
ジュブナイル作品ではポール・フレンチという筆名を用いた[5][6]。1942年発表のSF短編 Time Pussy では George E. Dale という筆名を用いた[7][8]。1971年の著書 The Sensuous Dirty Old Man では Dr. A という筆名を用いた[9]。 1920年1月2日、当時のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のペトロヴィッチにおいて[10]、父ユダ・アロノヴィチ・アジモフ (Юда Аронович Азимов、Judah Azimov、Judah Ozimov) と母アンナ=ラヒリ・イサーコヴナ・ベルマン (Анна-Рахиль Исааковна Берман、Anna Rachel Azimov、Anna Rachel Ozimov) の間に[11]ユダヤ系ロシア人イサーク・ユードヴィチ・オジモフ (Исаак Юдович Озимов、Исаа?к Ю?дович Ази?мов) として[12]生まれた[注 3]。生年月日については記録が不十分であり、暦の違いもあるため正確にこの日付かは不確実だが、誕生日がこの日より遅いことはない[13][注 4]。ソビエト連邦成立後、3歳の時に家族とともにアメリカに移住し、ニューヨーク・ブルックリンで育った[11]。10歳のころ、SF雑誌『アメージング・ストーリーズ』によりSFファンとなる[14]。本人によれば、父親の経営するキャンデーストア
生涯ハインライン(左)、ディ・キャンプ(中央)と共にフィラデルフィア海軍造船所で勤務するアシモフ(右)。1944年
生い立ち
家庭は裕福ではなかったが学業成績は優秀で、公立校や高校を飛び級で卒業して1935年に15歳でコロンビア大学へ入学した[16][17]。1938年に初めての作品をSF雑誌『アスタウンディング』に持ち込み、採用はされなかったが編集者ジョン・W・キャンベルの指導を受けるようになった[18]。1939年には『アメージング』誌に「真空漂流」が掲載され作家としてデビューした[19]。
この頃、ニューヨークのSFファングループのフューチャリアンズに属していた。会員にはフレデリック・ポール、C・M・コーンブルース、ジュディス・メリル、ドナルド・A・ウォルハイム、ジェイムズ・ブリッシュ、デーモン・ナイト、H・ビーム・パイパーらがいた。 1939年にアシモフはコロンビア大学を卒業し、同大学大学院で化学を専攻した[20]。
大学と就職