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出典検索?: "アイオワ" 戦艦
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アイオワ
満艦飾でハンプトン・ローズに停泊するアイオワ(1957年)
基本情報
建造所ニューヨーク海軍造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種戦艦
級名アイオワ級戦艦
艦歴
起工1940年6月27日
進水1942年8月27日
就役1943年2月22日
退役1990年10月26日
除籍2006年3月17日
現況博物館として公開
要目
基準排水量48,500トン
満載排水量57,450トン
全長270.43m
最大幅32.97m
吃水10.69m
速力31ノット(計画値33ノット)
乗員士官:151名 兵員:2,637名
兵装1944年
50口径40.6cm砲 9門
38口径12.7cm砲 20門
56口径40mm対空砲 80門
70口径20mm対空砲 49門
1983年
50口径40.6cm砲 9門
38口径12.7cm砲 12門
トマホークSLCM 32発
ハープーンSSM 16発
ファランクスCIWS 4基
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アイオワ(USS Iowa, BB-61)は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦のネームシップ。艦名はアイオワ州に因む。この名を持つ艦としては4隻目。 アイオワは1940年6月27日にニューヨーク海軍造船所で起工した。「ビッグ・スティック(The Big Stick)」の愛称で呼ばれたアイオワは1942年8月27日にアイロ・ウォーレス(ヘンリー・A・ウォーレス副大統領夫人)によって命名、進水し、1943年2月22日に初代艦長ジョン・L・マックレア大佐の指揮下就役した。就役直後は灰色2色の階調迷彩(Ms.22)、太平洋配備後は黒と灰色の特殊階調の二色迷彩が施されていた。 1943年2月24日、アイオワはチェサピーク湾で慣熟訓練に出港し、その後大西洋岸に沿って整調航海を行った。8月27日にニューファンドランド島のアージェンティア 11月にアイオワはカイロ会談、テヘラン会談に出席するフランクリン・ルーズベルト大統領を乗せ、カサブランカと米本国を往復していた。また、この時ルーズベルト大統領はポリオに苦しめられていたため、本艦には浴槽が設置されたほか、車椅子を収容可能なサイズのエレベーターが設けられた[要出典]。11月14日に雷撃訓練中にルーズベルト大統領が乗船している仮想標的のアイオワに、駆逐艦ウィリアム・D・ポーター(USS William D. Porter、DD-579)から過失で仮想魚雷発射中に実弾魚雷1本が誤射され、アイオワは回避運動して魚雷を振り切った。 1944年1月2日にアイオワは第7戦艦戦隊の旗艦として太平洋水域に出動、マーシャル諸島攻略に加わった。1月29日から2月3日までフレデリック・C・シャーマン海軍少将率いる空母機動部隊のクェゼリン環礁、エニウェトク環礁への攻撃を支援した。続いてトラック島、カロリン諸島攻撃の支援に参加、アイオワと僚艦は2月16日に分派されて北に退却する日本軍艦艇への攻撃に向かった。2月21日にはマリアナ諸島のサイパン、テニアン、ロタ、グアムに初めての空襲を行なう高速機動部隊に随伴した。 3月18日、ウィリス・A・リー海軍中将の旗艦としてアイオワはミリ環礁への砲撃に参加するが、戦闘時に日本軍の砲撃を受け損傷した。損害は軽微で攻撃は継続された。その後3月30日に第58任務部隊に合流し、パラオおよびカロリン諸島のウォレアイ環礁への航空攻撃(パラオ大空襲)を数日間支援した。
艦歴
第二次世界大戦
6月12日には空母部隊によるサイパン、テニアン、グアム、ロタおよびパガン諸島に対する攻撃時、空母の護衛を行った。13日、14日は空母部隊から離れサイパン、テニアンに対する砲撃を実施した。6月19日のマリアナ沖海戦では第58機動部隊の一部として日本艦隊からの4度の大規模な攻撃に対する戦闘を行った。この戦闘では日本の艦載機戦力のほとんどが壊滅したが、その中でアイオワも3機を撃墜した。さらに追撃を行ない、1機の雷撃機を撃墜、僚艦と共にもう1機を破壊した。