わたなべひろし
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ミュージシャンの「Hiroshi Watanabe」とは別人です。
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出典検索?: "わたなべひろし" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年12月)

わたなべ ひろし
プロフィール
本名渡辺 浩
別名義渡辺 浩
渡辺 ひろし
出身地 日本熊本県熊本市
出身校熊本工業高等学校インテリア科
職業アニメーター
アニメ演出家
アニメ監督
活動期間1978年 -
ジャンルアニメーション
交流関係わたなべけいこ(妻・2000年8月頃死去)
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わたなべ ひろし、日本男性アニメーターアニメ演出家アニメ監督熊本県熊本市出身。スタジオ・ライブ出身。

別名義に本名の渡辺 浩や渡辺 ひろしがある(いずれも読み同じ)。

1980年代半ばに『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の作画監督を務めて、人気を博する。1986年に『強殖装甲ガイバー』で演出家デビュー。1990年代半ばから本格的に演出家へ転身、スタジオディーンを活動の拠点としている。その他の代表作品には、『逮捕しちゃうぞ』(監督)などがある。
来歴

中学時代に見たアニメ『宇宙戦艦ヤマト』でアニメーターになることを決意。芦田豊雄率いるスタジオライブでの面接にも、8ミリ映画で自主製作した『宇宙戦艦やまと』を持参した[1]。1978年にテレビアニメ『まんが日本絵巻』の動画でデビュー。初原画は1979年の『サイボーグ009』の第1話。1982年には出世作となる『魔法のプリンセス ミンキーモモ』で作画監督を担当して、アニメ雑誌から注目を集める。キャラクターデザインの芦田豊雄に代わり、主役キャラクター・モモをものにした渡辺は版権イラストの多くを手がけ、アニメ雑誌がミンキーモモを表紙にするときはそのイラストを描いている。8年後に制作された続編では、芦田に代わりモモのデザインを任された。

1982年にスタジオ・ライブの同僚だった長谷川桂子(のちにわたなべけいこと改名。改姓後の本名は渡辺桂子。2000年8月頃死去[2])と結婚。長谷川は結婚後、安彦良和が率いるアニメスタジオの九月社に入社し、『クラッシャージョウ』、『巨神ゴーグ』などの作品を手がけた後、アニメーターを退き、わたなべが手掛けるイラストの彩色などを担当するようになった。

神志那弘志ヤマサキオサム平田智浩を輩出した熊本工業高等学校インテリア科の出身であり、同校ではアニメーション同好会を設立して初代会長を務めた。
参加作品
テレビアニメ
1977年


ヤッターマン(1977年 - 1979年、動画)

野球狂の詩(1977年 - 1979年、動画)

1979年


サイボーグ009(第7期:1979年 - 1980年、原画)

1980年


メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行(原画)

宇宙戦艦ヤマトIII(1980年 - 1981年、原画)

伝説巨神イデオン(1980年 - 1981年、原画)

1981年


Dr.スランプ アラレちゃん(1981年 - 1986年、原画)

1982年


魔法のプリンセス ミンキーモモ(第1作:1982年 - 1983年、作画監督・原画)

1983年


銀河漂流バイファム(1983年 - 1984年、作画監督・原画)

1984年


超力ロボ ガラット(1984年 - 1985年、作画監督・原画)

らんぽう(オープニング・エンディング原画)

1986年


Mr.ペンペン(オープニング・エンディング原画)

ハイスクール!奇面組(作画監督)

1987年


仮面の忍者 赤影(1987年 - 1988年、作画監督・原画)

ミスター味っ子(1987年 - 1989年、作画監督)

1988年


魔神英雄伝ワタル(1988年 - 1989年、作画監督)

1990年


楽しいムーミン一家(1990年 - 1991年、原画)

ふしぎの海のナディア(1990年 - 1991年、原画) ※渡辺浩名義

つる姫じゃ?っ!(作画監督・原画・演出)

1991年


魔法のプリンセス ミンキーモモ(第2作:1991年 - 1992年、キャラクターデザイン・作画監督・演出)

1994年


七つの海のティコ(原画)

1995年


クマのプー太郎(1995年 - 1996年、絵コンテ) ※渡辺浩名義

1996年


少年サンタの大冒険!(エンディングアニメーション 絵コンテ・原画・演出)

逮捕しちゃうぞ(1996年 - 1997年、監督・シリーズ構成)[3]


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