ろばの会(ろばのかい、1955年 - 2000年)は、かつて存在した日本の作曲家グループ。 1955年に、磯部俶による提案を受けた中田喜直を中心に、宇賀神光利、中田一次、大中恩の合わせて5人の作曲家たちが[1][2][3]、「こどものうた」の創作を目指して結成した[4]。結成当時、メンバーはいずれも30代の若手作曲家であり[5]、彼らは、「子供たちのために、いい詩と、いい音楽を」、「頼まれて作曲するのではなく、自分たちで納得のいく音楽を」をモットーに掲げていた[2]。 「レコード童謡」のイメージから脱皮しようと、童謡の新しい呼び名「こどものうた」を提唱し[4]、楽曲集『新しいこどものうた』を音楽之友社から発行した。大中恩は、「童謡」という言葉に抵抗があり、「新しい子どものうた」(原文ママ)という言葉のインパクトから会の運動に賛同したと語っている[6]。 作曲のために詩を提供した詩人には、サトウハチロー、小林純一、まど・みちお[7]、佐藤義美[8]や、大中の従弟であった阪田寛夫[3][9]らがいた。詩人たちから提供された詩を5人で合議し、希望者が曲を付けるという形で作曲がおこなわれ、時には一つの詩に複数人が曲を付けて、いずれが優れているかと議論を重ねることもあったという[7][8]。 この会の活動を通して、「サッちゃん」(阪田寛夫 作詞、大中恩 作曲)、「犬のおまわりさん」(佐藤義美 作詞、大中恩 作曲)、「ちいさい秋みつけた」(サトウハチロー 作詞、中田喜直 作曲)、「おなかのへるうた」(阪田寛夫 作詞、大中恩 作曲)[2]、「ドロップスのうた」(まど・みちお 作詞、大中恩 作曲)[10]をはじめ、多数の楽曲が創作され、広く親しまれた[2]。当時、キングレコードの童謡担当ディレクターだった長田暁二は、ろばの会が生み出した作品のレコード化を積極的に進めた[11]。レコードの他にも、会として新作を中心としたコンサートを開催したり、楽譜集を出版することがあった[1]。「ろばの会」名義で出版した楽譜集は6冊、楽曲は300曲以上にのぼった[12]。 1967年には、メンバーの宇賀神光利が、1998年には磯部俶がそれぞれ死去した[12]。 1978年には、楽曲集『ろばの会のうた』(音楽之友社)の刊行と、これに関連する演奏会とレコードの発表に対し、第8回日本童謡賞
来歴
ろばの会は、2000年3月に解散コンサートを行った[2]。解散コンサートは西脇久夫(ボニージャックス)がプロデュースした[12]。ろばの会の解散について、中田喜直は「メンバー5人のうち2人が亡くなり、45年の区切りに解散することにした。童謡を単なる“なつメロ”にするだけでなく、これからもそれぞれで新しい曲を作っていきたい」と語っている[12]。 ろばの会解散直後の2000年5月3日に中田喜直が死去した。その後、中田を偲ぶ「水芭蕉コンサート」が毎年5月に開かれるようになったが、2015年の「水芭蕉コンサート」は、<「ろばの会」結成60周年>と銘打っておこなわれた[2]。 ろばの会のメンバーは、大中恩が2018年に死去したことで全員が鬼籍に入った。 三代目海沼実は、結成当時のろばの会の主張を大正時代の童謡運動と比較し、「彼らが作曲家であったばかりに、やや音楽的な方向ばかりに偏りすぎていたのかも知れません」と述べている[14]。
解散後
評価
おもな出版物
ろばの会のうた、音楽之友社、1978年
おもなレコード作品
チュウちゃんが動物園へいったお話(キング、1958年)[15]ろばの会結成35周年を記念して1990年にCD化された(1967年にステレオ音源で再録音されたもの)[15]。
ろばの会のうた(ポリドール、1978年)
ろばの会童謡名曲集(キング、2000年)
脚注[脚注の使い方]
出典^ a b 坂本, 2015, p.63.
^ a b c d e f 富樫鉄火
^ a b “大中恩 「ろばの会」の結成
^ a b 世界大百科事典『ろばの会