本項では、ろうそくの歴史(ろうそくのれきし)について説明する。
ろうそくは、世界各地でそれぞれ独自に発達した。ろうそくを「縒り糸や紙を縒り合わせたものを芯にし、蝋やパラフィンを円柱状に成型して灯火に用いるもの」(デジタル大辞泉の定義[1])と定義すれば、ロウを使った灯火でも芯が無ければろうそくとは呼べないことになるが、ここでは広く「ロウまたはロウと似た性質のものを燃料に使った照明具」として解説する。
人類で最も古いろうそくは、古代エジプトで使われていたと一般に考えられている。これは古代エジプトの遺跡からろうそくの燭台が見つかったことに由っている[2]。 古代エジプトでは、紀元前1550年頃にろうそくが使われていた。ただし携帯用ろうそくの場合、ロウは容器の中に詰めて使われていたので[3]、今のろうそくとは様子が異なる。 古代ローマの博物学者プリニウスは著書『博物誌』の中で、紀元前300年頃のエジプトでろうそくが使われていた旨を記している[4]。 漢字「燭」は当初は燈火を意味したが、戦国時代(紀元前403年 - 紀元前221年)にはろうそくの意味に変わり、青銅製の燭台と思われるものも見つかっている[5]。秦の始皇帝(紀元前259年 ? 紀元前210年)の墓である始皇帝陵から、鯨の脂肪で作られたろうそくが見つかったとの報告がある[6]。ただし、これらがろうそくやそのための器具であるかどうかについては、まだ議論の分かれるところである[7]。 前漢(紀元前206年 - 8年)には、ろうそくが使われていたことを示す証拠がいくつか見つかっている。前漢の字書『急就篇』には、ろうそくを蜜蝋から作ったことを示唆する記述がある[7]。ただし後漢の『説文解字』に「蝋」の字は無く[8]、一般的なものではなかったと思われる。後漢の頃に作られた『神農本草経』や三国時代に張華が書いた『博物誌』にも蜜蝋に関する記述がある[7]。『世説新語』には3世紀に石崇がろうそくで飯を炊く贅沢ぶりだったとの記述があり[7]、比較的普及していたことを思わせる。また、648年に編纂された晋書には、周が弟から燃えているろうそくを投げつけられるという描写があり、固形のろうそくが使われていたことが分かる[5]。
古代エジプト
中国3世紀、三国時代の中国(今日の南京市)で使われた燭台。
北宋以降にはろうそくの使用も一般的になった。ある富豪が寝室で朝までろうそくを灯し、便所には溶けたろうがうず高く積もっていたとの記載がある[10]。
元になると、イボタロウムシの排泄物から白蝋が採られるようになった。李時珍によればその製法は、処暑(新暦で8月末)の頃に採取し、直接または水中での加熱で精製するものだった[11]。
明になると、南方では植物を原料としたろうそくが作られるようになった。明末の『天工開物』には、ナンキンハゼの皮、トウゴマの実などを原料に、蒸してから搾り取って蝋を取り、それを型に流し込んでろうそくを作るとの説明がある[12]。 漢の植民地であった楽浪郡に営まれた楽浪古墳群からは紀元前3世紀頃の青銅の燭台が発見されている[13]。 13世紀の史書『三国遺事』には、6世紀、滅びた駕洛国の因縁と思われる事故が発生し、それを鎮める祭祀のために朝夕にろうそくを灯したとの記録がある。また、同じく三国遺事に、982年にはまだろうそくが貴重品であったことを思わせる記述がある[14]。その後もろうそくはぜいたく品であり、18世紀の英祖の時代には私的売買の禁令が出されている[13]。 これらのろうそくは、蜜蝋を水で煮て不純物を取り除いたものを原料に作られた。当初は芯棒の周りを蝋を固めてから芯棒と灯心を入れ替える方法、続いて灯心の周りに少しずつ蝋を付けて太くする方法、続いて型に流し込んで作る方法がとられた[13]。その他にイボタろうそく、牛脂や豚脂を利用した獣脂ろうそくも存在したが、いずれも高価な品だった。そこで庶民は、麻の茎にエゴマ油の搾りかすを塗り付けた「麻燭」に火を灯して明かりとした[10]。 日本のろうそくは、7世紀ごろの唐(ユーラシア大陸東部)から伝わった。天平19年(747年)の『大安寺伽藍縁起並流記資財帳』に「蝋燭」の名でろうそくの記載が見られる。当時のろうそくは、現代のものとは異なり、原料に蜜蝋が用いられていた[15]。8世紀に制定された大宝律令には、主殿寮を司る役人が管理すべき品物として「燈、燭、松、柴、炭、稿」の記載がある[10]。 894年に遣唐使が廃止されると、唐との交易量は減少し、ろうそくの輸入も途絶えた。そのため、国産のろうそく(和蝋燭)が検討され、西暦1000年頃から松脂ろうそくが使われるようになった[16]。これは糠を混ぜて練った松脂を笹の葉で包んで粽のような形にしたもので、燃焼時間はごく短かった。 時代が下って14世紀になると、太平記などの書物や記録に武士がろうそくを使用する場面が見受けられるようになる。このろうそくは、元の海商から得たもので、原料はイボタ蝋であったと考えられる[10]。木蝋 16世紀、戦国時代の頃から[17]で、ウルシ[15][18]やハゼノキ[17]の実を粉砕してから蒸し、圧搾機にかけることで木蝋を取り、それを原料としたろうそくが作られるようになった[注釈 1]。
朝鮮半島
日本詳細は「和?燭」を参照
古代・中世
近世以降赤い和蝋燭と燭台