この項目では、漫画雑誌のりぼんについて説明しています。その他のリボン・りぼんについては「リボン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
りぼん
RIBON[注 1]
ジャンル少女漫画
読者対象少女
刊行頻度月刊(毎月3日発売)
発売国 日本
言語日本
定価620円
出版社集英社
編集部名りぼん編集部
発行人今井孝昭
編集長相田聡一
雑誌名コード01039
刊行期間1955年8月3日 -
発行部数125,000部(2023年10月 - 12月日本雑誌協会調べ)
レーベルりぼんマスコットコミックス
ウェブサイト ⇒集英社 りぼん 公式サイト
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『りぼん』 (RIBON) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌[1]。 『なかよし』(講談社発行)、『ちゃお』(小学館発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。1955年8月3日創刊、2015年8月に創刊60周年を迎えた。コミックスは『りぼんマスコットコミックス』のレーベル名で毎月15日頃に発売されている。 創刊50周年の際、ベネトン・ジャパンと提携して、「ちびまる子ちゃん」や「アニマル横町」などのキャラクターTシャツを作ったことがある。国際連合世界食糧計画 (WFP) とも提携しており、売り上げの一部は国際連盟世界食糧計画に寄付された。 読者の対象年齢は小学校から高等学校までの少女とされていたが、現在は小学校から中学校程度[2]。 りぼんのマスコットキャラクター、りぼんちゃんをデザインしたのは週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデーなどのマスコットマークをデザインした永井一正[要出典]。 1955年8月3日、『少女ブック』の妹雑誌および幼女向け総合月刊誌として創刊された。掲載内容は、グラビア・おしゃれや習い事についての読み物・少女漫画など。初代編集長は長野規。定価は100円。1958年ごろから、少女漫画の数が増え、少女漫画誌と呼べる内容になった[3]。 1970年代末期から1980年代半ばにかけて、マンガ評論流行の影響もあり、本誌の特徴的な作風を「おとめちっく」と呼ぶ一種のブームが起こった。当時の主要作家の1人、田渕由美子が早稲田大学に在学したことから、早大おとめちっくくらぶ
概要
沿革
1980年代後半から1990年代半ばにかけて部数が上昇し始め、1993年末には少女漫画誌では史上最高の部数となる255万部を発行した[5]。しかし、その年から部数は徐々に減少し、2002年には発行部数で『ちゃお』に抜かれてしまう。
2002年夏ごろには80万部以上あった部数が4年後の2006年には約40万部に半減した。これにより『なかよし』にも抜かれてしまい、三大小中学生向け少女漫画雑誌の中では最下位となった。その後、2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は20.9万部(2007年は38万部、2008年は33万部、2009年は27万部、2010年は24.3万部)と、最盛期に比較して10分の1以下の数字にまで下がった[6]が、今度は『なかよし』の発行部数が低下[注 2]したため、三大小中学生向け少女漫画雑誌中の最下位から脱した(ただし、別のデータの2010年の年間平均では『なかよし』の方が部数は上である[7])。
2023年9月号(2023年8月3日発売)で同日発売の『ちゃお』2023年9月号とコラボし、本誌の『ハニーレモンソーダ』(村田真優)と『ちゃお』の『シャイニング!』(まいた菜穂)のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日にパシフィコ横浜にて小学館・小学館集英社プロダクションが主催、集英社が特別協賛する合同イベント[9]『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細はちゃおフェスを参照)が開かれることを記念したもの[10]。
2023年10?12月期にかけては数ある少女向けコミック誌の中で印刷証明付き部数が1位と発表された[11]。
歴代編集長.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}が望まれています。
長野規 - 1955年9月号(創刊時) -
木曽義昭 - - 1974年5月号
徳永孝雄 - 1974年6月号 -
渡辺浩志 - 1976年7月号 - [1]
山田英樹 - 1985年12月号 -
中森美方 - 1992年5月号 -
今井鈴人 - 1996年5月号 -
村井憲司 - 2001年9月号 -
冨重実也 -
相田聡一 - 2018年 -
発行部数が望まれています。
1955年 - 15万部[12]
1978年6月、公称135万部[13]
1979年7月、公称135万部[14]
1980年7月、公称150万部[15]
1981年9月、公称150万部[16]
1982年12月、公称150万部[17]
1984年4月、公称170万部[18]
1985年3月、公称180万部[19]
1986年3月、公称200万部[20]
1987年3月、公称200万部[21]
1988年3月、公称200万部[22]
1989年2月、公称230万部[23]