よろずや平四郎活人剣
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『よろずや平四郎活人剣』(よろずやへいしろうかつじんけん)は、藤沢周平作の日本時代小説1983年文藝春秋に掲載され、のちに文庫化された。

1998年NHKにて金曜時代劇『新・腕におぼえあり』のタイトルで、また、2007年にはテレビ東京にて『よろずや平四郎活人剣』のタイトルでそれぞれテレビドラマ化されている。
小説

オール讀物』(文藝春秋1980年10月号から1982年11月号に掲載。1983年文藝春秋刊(上中下3分冊)。1985年文春文庫:上 ISBN 978-4167192365, 下 ISBN 978-4167192372

『よろずや平四郎活人剣』は、旗本神名家の冷や飯食い(次男以降の男子)である神名平四郎を主人公とした連作短編時代小説である。連作を繋げる縦の糸は、天保の改革蛮社の獄を背景に、平四郎の兄で目付の神名監物と鳥居耀蔵の対立、および神名兄弟と鳥居配下の奥田伝之丞との争いである。また、平四郎の元許婚の消息の探求の物語も、同時に縦の糸としての役割を持つ。

本作品は、友人の明石半太夫・北見十蔵と剣術道場を共同経営しようとした平四郎が、明石にだまされてやむを得ず長屋に移り住むことになったことから話が始まる。長屋に「よろずもめごと仲裁つかまつり候」の看板を掲げ、平四郎が離縁話の仲裁や盗人仲間の手打ちなど「よろずもめごと仲裁」を行う様子が各話で描かれる。

道場の共同経営をするはずだった明石半太夫・北見十蔵はその後もしばしば脇役として登場し、時には平四郎とともに剣を取って戦う。
時代背景

天保12年(1841年)の8月頃[1]から天保14年閏9月13日の夕刻までの期間を描いている。老中水野忠邦が天保の改革を行い、失脚するまでの時期である。改革によって生じた社会の混乱や、水野派と反水野派の政争が、本作で描かれるエピソードの背景の1つとなっている。



主な登場人物
主人公
神名平四郎(かんなへいしろう)
幕府
目付神名監物の腹違いの末弟。24歳[2]雲弘流矢部道場では次席に位置する高弟。父が下婢に手を出して生まれた子であるため、神名家ではずっと冷遇されてきたということもあり、明石、北見と共に新しく道場を開設するという計画が持ち上がった時に、すぐに話に乗って実家を出た。しかし、明石が共同出資した金を持ち逃げしたために計画が頓挫してしまう。現在は、一人暮らしの長屋の部屋に、「よろずもめごと仲裁つかまつり候」という看板[3]を掲げて、糊口を凌いでいる。仲裁屋家業は、たまに大口の依頼が入ることもあるが、持ち前の優しさや正義感から、利益にならないどころか足が出るような依頼も受けることがあり、1人が食べていくのがやっとというところである。元許嫁の早苗の消息を5年ぶりにつかんだが、すでに人妻となっていたために、最初は遠くから眺めるだけであった。しかし、彼女が置かれている境遇が明らかになっていくに従って、何とかしてやりたいという思いが募っていく。
ヒロイン
菱沼早苗
300石の
旗本である塚原の娘。平四郎の5歳年下の許嫁であり、平四郎も早苗が14歳の時に会ったことがある。しかし、その年、本家の罪に連座して塚原家が取りつぶされ、婚約は解消となった。それが原因で、平四郎の行状が一時荒れたことがある。その後5年間は平四郎も行方を知らなかったが、里尾が墓参の帰りに姿を見かけたことから、早苗が現在置かれている境遇が次第に明らかになっていく。早苗は、親が御家人の菱沼惣兵衛に借りた200両が500両にふくれあがって返せなくなり、借金のかたに惣兵衛の妻となっていた。惣兵衛が南町奉行鳥居耀蔵にこれまでの行状をとがめられ、金貸しで儲けた財産や証文を没収されてしまったことを知った早苗は、ある重大な決意をする。
神名家
神名監物
知行1000石の
旗本目付。平四郎の腹違いの兄であり、家督を継ぐ前の名は万之助。同じ目付、後に南町奉行になった鳥居耀蔵と対立する一派に属しており、しばしば平四郎に探索の手伝いや護衛を命じる。その任務は危険が伴う上、ほとんどただ働きのため、平四郎は不満を抱いているが、もちろん逆らえない。
里尾
監物の妻で、42歳。子が3人いる。早くに母を亡くした平四郎にとっては、幼い頃は母親代わりだった。妾腹故に厄介者扱いされがちな平四郎に対して、昔も今も温かく接してくれている。
まさ
平四郎の実母。出入り商人の口利きで神名家に台所働きの下婢として奉公に上がったが、先代の監物が晩年の半中気の身で手をつけ、平四郎を産んだ。その後体を壊して実家に戻され、病死した。
槙野
女中の老女格。下婢の子である平四郎のことは快く思っておらず、里尾が平四郎に小遣いを与えようとすると邪魔をする。
嘉助
下男。20歳前に先々代の神名家に奉公に入り、今では70に近い年齢。嘉助は平四郎の母を哀れに思い、平四郎のことも心配してくれている。
おふく
台所婆さん。平四郎が16歳か17歳の時、母まさのことを教えてくれた。まさはおふくの下で働いていたためか、娘のように感じていたようで、平四郎のことも心配してくれている。
岸井新六
若党。監物が外出する際はよく供をする。
間坂彦内
用人
勝之助
平四郎の兄の1人で三男。妾腹だが、平四郎と違って母親の身元がしっかりしているため、神名家ではそれなりの扱いを受け、天保10年(1839年)にしかるべき家に婿入りしている。
他の兄弟
勝之助の他に、他家に養子に出された兄が少なくとももう1人おり、婚約が解消されて一時行状が荒れていた平四郎をなじったが、人数も名も不明。平四郎が末弟なので弟はいない。姉妹については、いるかいないかも含めて記されていない。
友人とその家族
明石半太夫
平四郎が共に道場を開こうとした友人の1人。
肥後出身で、物語開始時点の15年前に浪人となり、矢部道場に時折出入りして稽古をつける賓客待遇となって、平四郎らと出会った。後に妻子を連れて道場に住み込んだ。39歳[4]で、3人の中では最も風采が良く、他の2人にも道場の大家にも代表者格として認められていた。しかし、平四郎と北見が共同出資した金[5]を持って夜逃げした。後に、南本所に住んでいるところを突き止められたが、のらりくらりとかわして、金を返そうとしない。夜逃げ後、麹町にある直心流道場の筒井三斎に取り入って、道場の経営を手伝うようになった。しかし、出入りの商人から賄賂を取っていたのがばれて、門弟たちから批判され、疎外されているらしい。
北見十蔵
平四郎が共に道場を開こうとした友人の1人。30歳。元は仙台藩士だったが、物語開始時点の3年前に浪人となり、江戸に出てきた。雲弘流の元になった弘流を学んでおり、その縁で矢部道場に出入りするようになって平四郎らと出会った。夜逃げした明石に対して、妻子持ち故の事情があったのだろうと発言するなど、平四郎には人が良すぎるように見える。紺屋町糸屋の隠居所だった離れを借りて、そこで寺子屋の師匠もやっている。達筆で、平四郎の仲裁屋の看板も北見が書いた。教え子の母親たちからの受けもよく、交代で料理や掃除の手伝いをしに来てらもっている。仙台にいた時、塚原家に婿に入って嫡男をもうけたが、上司が起こした不正事件に巻き込まれ、累が及ぶのを恐れた塚原家の親戚一同に強いられて離縁し、江戸に出てきた。
明石の妻
平四郎よりも1、2歳年下[6]


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