よしもと新喜劇
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この項目では、テレビ中継番組について説明しています。舞台公演については「吉本新喜劇」をご覧ください。
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よしもと新喜劇
当番組の収録が行われている
なんばグランド花月
ジャンル喜劇
演芸
お笑い番組
演出松本一彦(舞台監督)
出演者出演メンバー参照
オープニング#テーマ曲を参照。
エンディング#テーマ曲を参照。
製作
プロデューサー松原謙介(MBS)
松井直人・中村進(吉本興業
景山輝之(よしもとBE
新堂裕彦(MBS、GP)
制作毎日放送[注釈 1] 

放送
映像形式文字多重放送
(一部地域を除く)
音声形式ステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間1962年9月 - 現在
放送時間土曜日 12:54 - 13:54
放送分60分
公式サイト
特記事項:
2007年5月よりハイビジョン制作。
かつては日曜12時→土曜15時→土曜12時に放送されていた。
音声モードは長らくモノラル放送であったが、地上デジタル放送化直前にステレオ化された。
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『よしもと新喜劇』(よしもとしんきげき)は、1962年昭和37年)9月から毎日放送で毎週土曜日 12:54 - 13:54 (JST) に放送されている吉本新喜劇の公演中継番組である。
概要

吉本新喜劇所属のタレントによって行われているコメディ劇のうち、なんばグランド花月にて公開録画されているものを放送。

間寛平今田耕司東野幸治藤井隆山田花子レイザーラモンHG(住谷正樹)など多くの出演者を売れっ子として輩出したテレビ番組であり、松竹新喜劇と並び上方喜劇の双璧をなす。

レギュラー放送開始は1962年昭和37年)9月。長寿番組のひとつに数えられており、演芸・バラエティ番組のジャンルでは通算で日本最長寿を誇る[注釈 2]

近畿地方のほか、東海・中国・四国・九州地方など主に西日本で長年放送されており、放送時間が土曜日の昼過ぎということもあって、(放送当時土曜の昼までの授業後)学校から帰宅した後、親子で食事をしながら見る子供も多く、ここでの劇中で使われる言葉がテレビを通じ、子供達の間で流行語となるほどの人気が出た。

1997年から、この番組の全国版として「超!よしもと新喜劇」(後に「超コメディ60!」としてリニューアル)が東京からゴールデンタイムで放送されていた。しかし、全国向けにアレンジされていたために、関西のみならず全国の新喜劇ファンの評判は芳しくなかったばかりか、出演者の間にも戸惑いが出る状況に陥り、低視聴率のまま短期間で終了したが(詳細は当該番組の項参照)、同番組が新喜劇座員を全国区の番組に出演するきっかけを作った。

現在のオープニングは、『Somebody Stole My Gal』のテーマソングで舞台の緞帳(どんちょう)が上がるものを映すものとなっており、同時に出演者のスタッフロールも流れる。2011年2月ごろまでは役者の名前と顔を一致して覚えてもらうために、舞台に役者が初めて出てきたときも名前が再度表示されることがあった。終了後、緞帳が下りながらのエンドロールとして、出演者とスタッフの一覧が流れる。1990年代後半には、本編終了後に島田珠代などが進行する「珠代のタマ手箱」のコーナーなど、舞台前や終了後に芸人2人がフリートークするコーナーがあった時期もある。現在でも終了後にミニコーナーやイベント・座員募集の告知が行われている。

現在の座長はすっちー酒井藍吉田裕アキの4名であり、座付き作家と相談しながら台本を作成する。この他、副座長(リーダーに位置付け)の座員(清水けんじ信濃岳夫諸見里大介)を主演にした作品も不定期で放送される。

通常公演は収録日から2週間程度の間を置いてテレビ放送されることが基本であるが、時事性の強い作品[注釈 3]はテレビ放送を優先することから、公演とテレビ放送の順番は必ずしも一致しない[注釈 4]。また、特番などによって放送日が収録日から1ヶ月以上あとになった場合、4本の撮り溜め(ストック)を放出するために「調整週」としてテレビ収録・放送が行われないこともある。

製作局である毎日放送では、不定期で通常の新喜劇の他にロケ企画等を組み合わせた内容を放送時間を拡大して放送をしている。ただし、毎日放送以外のネット局では編成上の都合から、新喜劇本編のみの放送となる[注釈 5]

毎年年始には「よしもと新喜劇お正月スペシャル」として全座長・座員が出演する特別版[注釈 6]が放送され、毎日放送以外の遅れネット及び非ネットのTBS系列局でも同時ネット[注釈 7]で放送されるが、通常の放送時間を拡大して後日遅れネットで放送する局(系列外局や独立局は除く)や、編成上の都合で放送しない局もある。

2005年秋ごろから字幕放送を実施している(一部地域を除く)。(笑い)と(拍手)の部分は人のの形を施した独自の表示をしている。

収録先となる大阪・千日前なんばグランド花月では2007年2月22日 - 3月17日HD化工事が行われた。同年4月17日 - 23日(5月5日放送)から工事完了により、毎日放送・中部日本放送地上デジタル放送ではハイビジョン放送が実施されるようになった。

2022年3月に開局のBSよしもとよしもとプレミアムアワー」で花月爆笑劇場・よしもと新喜劇(1989年10月以降)が再放送される[1]
歴史
毎日放送開局とうめだ花月

ラジオ単営局として開局した毎日放送[注釈 8]は、同じくラジオ単営局として開局した朝日放送(現:朝日放送ラジオ)と共同で大阪テレビ放送を合弁していたが、これを解消して新規にテレビ局を開局することとなった[注釈 9]ものの、1959年(昭和34年)の開局当時は大阪・堂島毎日大阪会館に置かれた本社にスタジオが3つしかなく、しかも上層階に設置されたうえにいずれも狭小のため使い勝手が悪く局内製作に限界があった。このため、毎日放送は地場で劇場を所有する興行主と業務提携を交わし、その劇場に放送機材を設置して公開放送を行うことにした。詳細は「毎日放送#概要」および「高橋信三#千里丘移転」を参照

終戦後に舞台演芸から映画館運営へと経営の主軸を移していた吉本興業は、映画の斜陽化を見通し、テレビ時代に見合うコンテンツとして舞台演芸に再参入するべく、大阪・梅田にあった映画館「梅田花月劇場」を演芸場に切り替える計画を進めていた。そこへ毎日放送が大阪地区民放第4局として単独で開局することになり、コンテンツ確保とスタジオ不足を一気に解消できるとして、両社は提携契約を交わした。こうしてうめだ花月が毎日放送の放送機材設置場所に選ばれた。詳細は「吉本興業ホールディングス#演芸王国の復活(昭和34年 - )」を参照

当時、吉本事業部次長だった八田竹男は、テレビ時代の演芸のかたちとして、うめだ花月に観客を集めるため、所属芸人がテレビで名前を売る場を設ける必要があると考え、まったく新しいスタイルの軽演劇を起こすことにした。この軽演劇こそ吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」で、うめだ花月と毎日放送双方の大看板になるべく、両社の社運をかけて立ち上げられた。詳細は「吉本新喜劇#創立」を参照

毎日放送開局当日となった1959年3月1日、うめだ花月も開場。吉本ヴァラエティの初公演「アチャコの迷月赤城山」が記念番組として生中継された。これがこの番組の源流である[注釈 10]。しかし、開局後しばらくはスポンサーが取りにくかったこともあって、新喜劇は不定期放送だった。
レギュラー番組化 - 全国ネット

やがて大正製薬がスポンサーに付き『サモン日曜お笑い劇場』のタイトルで、日曜正午から45分間にわたり放送された。初期(1962年12月2日 - 1963年秋)は、当時毎日放送のキー局であったNETテレビをはじめとする同系列全国同時ネットで放送された。

しかし、笑いの嗜好がまったく異なる関東では受け入れられず、NETテレビは翌1963年(昭和38年)6月、水曜日昼枠で同一スポンサーで地元芸人を中心とした『テレビ寄席』を立ち上げる。毎日放送では『テレビ寄席』もネット受けするが、今度は逆に近畿圏の視聴者が東京の寄席に馴染めないという理由で低迷。このため、1ヶ月で打ち切り、7月からは水曜正午枠を自主編成に切り替えて3日は単発で『ハワイアンショー』を、10日からグロリア魔法瓶製作所の一社提供枠として『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』を開始した。

関東での好評によって『テレビ寄席』が日曜正午へ移動した同年10月の改編で、NETテレビも『サモン日曜お笑い劇場』の放送を打ち切り、結果的に時期を置いて互いに打ち切り合うかたちになった。その一方、水曜正午枠の『歌って当ててハイ何点』が全国ネットに昇格した。

当時毎日放送社長だった高橋信三は「江戸笑芸は関西では受け入れられにくい。テレビ寄席の視聴率が低迷するのは当社にとって判りきっていたことで、互いに打ち切り合うという判断は正しかった」と述べたという。詳細は「高橋信三#大正テレビ寄席打ち切り事件」を参照

ただし、1965年4月から8月までサンヨー食品の提供で『タンメンお笑い寄席』と改題して土曜14:00 - 14:45に遅れネットしていた[2] など、毎日放送でも『テレビ寄席』の放送が再開されていた期間があった。
地方への番販ネットと朝日放送への打倒

高橋の腹心で、後に社長となる斎藤守慶が中心となっていた毎日放送営業局は、大正製薬が日曜12時台のNET系全国ネット提供を『テレビ寄席』に一本化する方針だったにもかかわらず、『テレビ寄席』と『日曜お笑い劇場』が同じ放送時間になったという理由で、引き続き『お笑い劇場』のスポンサーとして残るように依頼する(事実上の企画ネット番組)。大正の社長だった上原正吉は最終的に高橋の説得の前に折れ、出稿継続を了承した。これによって『お笑い劇場』は関西ローカルベースでの存続が決まり、『お笑い劇場』の1年前にスタートしていた『スチャラカ社員』で全盛を極めていた朝日放送を追撃する体制を整え、ついには視聴率逆転に成功。これにより毎日放送の看板番組として、腸捻転解消までこの時間帯の在阪民放トップを独走した。詳細は「斎藤守慶#対等意識とキー局指向」を参照

ただし、互いに打ち切り合った当初は『テレビ寄席』(日本製麺)[注釈 11][4] と『サモン日曜お笑い劇場』(大正製薬)[5] ではスポンサーが異なっていたため、完全な企画ネット番組という位置付けではなかった。

一方の朝日放送は1966年(昭和41年)、『スチャラカ』の担当ディレクターだった澤田隆治が局舎移転にあわせてテコ入れを目論むが、脚本の香川登志緒が猛反発して番組からの降板を余儀なくされ、翌1967年(昭和42年)4月に打ち切りに追い込まれる。詳細は「スチャラカ社員#番組の終了」を参照

その後も朝日放送は『お笑い劇場』の裏番組として同種のコメディ番組をぶつけてくるが、軒並み視聴率を取れず、1年どころか半年(2クール)持たずに打ち切られるケースが続出して「魔の時間帯」と呼ばれるようになる。さらに、先述の澤田と香川の対立は同じ日曜日の夕方に放送されていた『てなもんや三度笠』に飛び火し、こちらも1968年(昭和43年)4月改編で打ち切られた。これを受けて朝日放送は後続番組[注釈 12]のスタッフから澤田を外し、のちに澤田が東阪企画を立ち上げる伏線となった。

そして1971年(昭和46年)1月、朝日放送は現在も続く『新婚さんいらっしゃい!』を開始、旧大阪テレビ時代の『ダイラケのびっくり捕物帖』以来14年間続いた日曜12時台のコメディの放送を一度は諦める。


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