ゆでたまご
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この項目では、キン肉マンなどで知られる漫画家コンビについて説明しています。その他の用法については「ゆでたまご (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ゆでたまご
(嶋田 隆司・中井 義則)
生誕嶋田 隆司(しまだ たかし)
(1960-10-28) 1960年10月28日(63歳)
日本大阪府大阪市西淀川区
中井 義則(なかい よしのり)
(1961-01-11) 1961年1月11日(63歳)
日本・大阪府大阪市浪速区
職業漫画家
活動期間1978年 -
ジャンル少年漫画
ギャグ漫画
格闘漫画
代表作『キン肉マン
キン肉マンII世
闘将!!拉?男』 『ゆうれい小僧がやってきた!』など
受賞1978年:第9回赤塚賞準入選(『キン肉マン』)
1985年:第30回(昭和59年度)小学館漫画賞受賞(『キン肉マン』)
公式サイト ⇒ゆでたまご公式サイト
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ゆでたまごは、日本漫画家ユニット。嶋田 隆司(しまだ たかし)と中井 義則(なかい よしのり)の合同ペンネームである。

ともに私立初芝高等学校卒業。10代で『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載デビュー。代表作には、『キン肉マン』『キン肉マンII世』『闘将!!拉?男』『ゆうれい小僧がやってきた!』などがある[1]。集英社との独占契約で約14年執筆した後、他社の雑誌でも活動している。2011年より『キン肉マン』の新シリーズを集英社のWebサイト『週プレNEWS』上で開始し、2022年現在同作を連載中。

設定の矛盾を気にしない展開と飛びぬけた発想を身上とする。特にプロレス格闘技を題材としたギャグ漫画がメインである。
プロフィール
嶋田隆司

原作担当。1960年10月28日生まれ。大阪府大阪市西淀川区出身。1984年頃までは父方姓の金山 隆司(かねやま たかし)だったが、父親の死去を機に母方の「嶋田」に改姓。『キン肉マン』5話には新聞記事に「金山たかし逮捕」という小ネタが挿入されている。左利きであり、ゲスト出演した時代劇『必殺仕事人V』においては投球、食事(箸)も左で行っていた。『キン肉マン』は嶋田が中井に出会う前から大学ノートに描いていたものが元になっている。

映画の試写会などイベントや、インタビューなどメディアへの露出は嶋田のみであることが多い。単行本の著者近影でも遊んでいる写真がよく選ばれるなど、執筆以外の露出が多く、読者からは「仕事しないほうのゆで」などと揶揄されることがある[2]

少年時代はやんちゃで、幼稚園では女の子にキスをせまるなどませた子供だったが[3]、近所の子供の寄り合いなどは嫌いだったという。その頃から絵を見ただけで作者の名前が分かったり、目をつぶってインクの匂いを嗅いだだけで雑誌名を特定したりと、相当の漫画好きであった。

高校では女の子目当てにデザイン科希望の中井を措いて商業科を希望したが、実際に入ってみると女子の入科は0人であった。そればかりか尖った耳から不良生徒のいじめの対象になり、ある日「宇宙人」と馬鹿にされて喧嘩に発展、電車で拉致されそうになったが、停車の隙に「イエーイ!」と相手を挑発して逃げ帰ったというエピソードがある。報復を恐れて中退しようと一度は思ったが、我慢すれば通い続けられると母に説得されて学業を継続することにした。そうすると割と友達ができ、プロレスが好きな柔道部の友達がいじめから守ってくれるようになった[4]

テレビ好きで、好きな番組は『プレイガール』。2007年12月8日に15歳年下の女性と結婚した。

2012年末、左太ももにインスタントラーメンをこぼし、火傷を負った。その際に合併症を併発し、全治6か月の重症になった[5]。「火傷を甘く見ていた。引退も考えた」などとSNS上で述べた。

2023年10月、 変形性膝関節症手術のため入院、復帰まで『キン肉マン』は休載となった。
中井義則

作画担当。1961年1月11日生まれ。大阪府大阪市浪速区出身[6]1981年頃までは父方姓を名乗っていたため岩元 義則(いわもと よしのり)だったが、成人したことを機に母方の「中井」に改姓。

ゆでたまごのプロダクション、スタジオ・エッグ代表。出不精であると本人は述べている。

小学校入学前からの熱烈な野球少年で、将来の夢はプロ野球選手だった。また、プロレスラーにもなりたかったという。絵を描くことが好きだったが、漫画は嶋田に出会うまではあまり読んだことがなかった。21歳の時に結婚し、長女・長男・次男の3子がいる[7]。長男の中井光義はお笑い芸人(芸名なまたまご)を経て、プロレスラー総合格闘家として活動。

デビュー当初はまだ画力に乏しかったため、『キン肉マン』の連載開始からしばらくの間は、『ジャンプ』の表紙を飾るキン肉マンの絵をイラストレーターに代行されてしまった。

長男の光義からは「真面目で前向きな人」と評されており、50歳を過ぎても画力の更なる向上のために正体を隠して絵画教室に通っているという[8]。光義がプロレスラーを目指すことにも、かつて自身が同じ道を進みたかったため好意的だった。

現在はキャラクターの作画・造形にソフトウェアPoserで制作した3Dモデルを骨組みとして使用しており、『キン肉マン』における超人の筋肉の描写は『ジャンプ』連載時代と比べて写実性が増し、また立体的になっている。顔の輪郭も身体つきとのバランスを重視し『ジャンプ』時代と比べて細長めに描いている。

高校時代は、いじめられっ子だった嶋田とは対照的に番長として一目置かれ、女の子にもモテモテであったという[4]
ペンネームの由来

「どんなペンネームが良いかと考えている際に、嶋田が放屁したらゆで卵のような臭いがしたため、それでいいかと思い決まった」とする中井説と、「ペンネームを考えている時に食べていたものが、ゆで卵だったので『ゆでたまご』になった」とする嶋田説がある。2人とも記憶が曖昧でどちらが正しいのかは不明だが、嶋田は後のインタビュー[9]中に中井説の方を認めている。

赤塚賞の授賞式の際、審査員がペンネームについて尋ねたところ、嶋田が「ゆでたま」で中井が「ご」と説明されたとしている[10]。だが、『週刊少年ジャンプ』の目次の作者コメント欄では嶋田が「ゆで」中井が「たまご」と表記されていた。1982年昭和57年)9号のグラビアページ企画「作者手相」では「ゆでたま」と「ご」となっている。
来歴
出会いからデビューまで

小学4年生の3学期(1971年)、嶋田の通う大阪市立住之江小学校に中井が転入する。クラスは違ったが同じ団地に住んでおり、通学バスで時々乗り合わせる内に知り合った。小学5年生の時に中井が嶋田の家に遊びに行った際、嶋田の描いた『キン肉マン』を気に入り意気投合した[3]

ともに大阪市立南稜中学校に進み、当時『週刊少年チャンピオン』で連載中だった藤子不二雄Aの『まんが道』の影響を受け漫画の合作を本格的に開始する。最初に描いたのがバトルアクション漫画『野獣の牙』で、これを始めとして野球、空手、純愛など様々なジャンルに挑戦する。当初は大学ノートにお互いが描き合うという形だったが、中学2年で『ラーメン屋のトンやん』を初めてペンで描き、これが近鉄漫画賞に入賞する。当時のペンネームは2人の名前を合わせた本山たか義(もとやま たかよし)。自作の漫画をクラスメイトに読ませていたが、嶋田が2019年頃にFacebookを通じて約45年ぶりに再会した中学時代の友人は、「漫画の感想を言わないと怒るから、感想を求められるのがプレッシャーだった」と苦笑していたという[4]

二人とも勉強は全く力を入れていなかったため、当時落ちこぼれと不良の巣窟であった私立初芝高等学校に揃って進学。


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