浴衣(ゆかた)は、和服(着物)の一種[1]。素肌の上に着るものであり[注釈 1]、家庭でのくつろぎ着が起源である。 平安時代、貴族が風呂に入る際に着用した湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされる[1][2]。この当時の風呂は専用の衣服を着て入る蒸し風呂であり、そのための湯帷子は麻織物でできていた[2]。 安土桃山時代頃に裸で湯に浸かる入浴習慣が生まれると、湯上がりに肌の水分を吸い取らせるために着られるものとなり、江戸時代には広く庶民に愛好されるものとなった[1]。 江戸時代に日本で木綿が普及すると、麻織物に代わって、より吸水性の高い綿織物の着物が用いられるようになり、現代の浴衣へとつながることとなる[2]。 本来、浴衣は湯上りに身につける部屋着であり、また、昭和の洋装の一般化以降は寝巻きとしての用途が主であった。このため、昼間から浴衣を着て外出するのは憚られることとされていたが、そうした認識は現在では薄れている[2]。 明治期には、浴衣に繻子などの半衿をかける例も記録されている[3]。 昭和初期頃までは浴衣のことを「中型」「中紋」ということもあった。これは、反物の中でも浴衣にふさわしい柄は中型の紋様とされていたことによる。大型の紋様は布団などの寝具用、小型の紋様は外出着用とされていた[注釈 2][4]。 現代では、浴衣は夏季に身につけるおしゃれアイテムの一つとなっており、特に女性用の浴衣には、柄や色にも華やかなものが多くみられる[2]。 現代の日本の生活で浴衣が着用される機会は、主に花火大会・縁日・盆踊りなど、夏の行事の際である。こうした時期には、レストランや遊園地・テーマパーク、スポーツの試合などでも、浴衣を着用して来場した場合に特典を設ける場合もある。 旅館やホテルには寝巻として用意されている場合が多いが、その多くは簡略化されたものである[注釈 3]。元来部屋着であるため、シティホテル等では、浴衣で共用部に出ることは非常識とされる。温泉地の温泉宿やホテル等では、伝統的に、浴衣のままで館内施設を利用したり近隣に外出すること(湯巡り、はしご湯など)は問題ないとされている。 温泉街の宿泊施設が連携して、浴衣を一種のリゾートウェアととらえて演出アイテムとするケースもある。施設利用者に浴衣と下駄を貸し出し、着付けも行い、宿泊客にはそのままプレゼントするなどが一例である。 日本情緒の雰囲気を味わえ、かつ、安価で着付けも単純な民族衣装として、外国人のお土産としても重宝されている[注釈 4]。 日本ゆかた連合会の提案により、1981年(昭和56年)に乞巧奠(きっこうてん)の慣習と織女祭にちなんで、7月7日が「ゆかたの日」と制定されている[5]。 一般的には木綿地で、通常の単物用の生地よりもやや粗めに織った平織りのものが多い。 高級な浴衣生地には、小千谷縮(麻)や阿波しじら織(木綿)などの「縮織(楊柳)」がある。また、太さの異なる糸を用いて細かなワッフル状の織地をつくる「紅梅織 構造は単の長着と同一であり(長着#各部の名称を参照)、和服の中でも最も単純かつ基本的で、反物も比較的安価であることから、家庭科の授業で和裁の基礎を学ぶ際には浴衣を縫うことが多い[注釈 5]。 女性用の浴衣は、両袖の内側と両脇の一部に、身八つ口(みやつくち、みやつぐち)という開いた部分があるが、男性用の浴衣にはない。また、女性用の着物は元来長い丈のものをたくし上げて「おはしょり」を作って着るため、女性用の浴衣にもおはしょり部分があるが、男性用の浴衣にはない[2]。 一般的な着物に比べると、裾は若干短くても良いとされ[2]、くるぶしが見え隠れする程度の着丈に着付けるのが一般的である。 合わせる帯は、男性は角帯[注釈 6]、女性は現代では半幅帯が一般的であるが[2]、元来が家庭用のくつろぎ着であるため、男女ともに扱いの簡単な兵児帯(へこおび、へごおび)を用いることもある。角帯は元来は浴衣には合わせないものとされていたが、現代ではこの意識は薄れている[注釈 7]。 履物は、素足に下駄が一般的である[注釈 8]。男性の場合は雪駄も多用される。 衿合わせは、一般的な和服の着付けと同じく、男女とも右前である[2](着付け#右前(右衽)と左前(左衽)も参照)。右の衿を前(さき)に胸に沿わせ、左の衿をその上に重ねるように身につける。『続日本紀』によると、奈良時代の719年に衣服令が発令され、「健康な者は老若男女を問わず右を先に合わせてから左が外側になるように着るべし」と定める「天下百姓右袵」が定められたことに由来する[2]。「向かい合った相手から見るとアルファベットのYの小文字“y”になるように」「自分の右手を衿に差し入れやすいように」と覚えると間違えにくい。 歌舞伎や日本舞踊など、日本の伝統芸能においては稽古着として使用されている。 歌舞伎役者などが別誂えの反物を染めて贔屓への配りものとすることも多かったが、最近ではこうした風習も徐々に少なくなっている。 角界では、関取が自分の名前の入った浴衣生地を贔屓筋や他の相撲部屋に贈るという風習がまだ残っており、自分の気に入った柄でオリジナルの浴衣を仕立てる力士も多い。関取の浴衣は夏の装いで、場所帰りや普段着として着用する(冬は厚手の着物やどてらを着てもよい)。幕下以下の力士は、場所入りから普段着まで全ての場面で、部屋から支給される浴衣を着ることになっているという[7]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
歴史
現代浴衣(2010年代)兵主神社例祭(西脇市黒田庄町岡)2011年浴衣姿の女性たち
素材
形態と着こなし女性用浴衣の着こなしの一例
浴衣を常用する業界
近年の浴衣事情.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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