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出典検索?: "ゆうきまさみ"
ゆうき まさみ
本名佐藤 修治
生誕 (1957-12-19) 1957年12月19日(66歳)
日本・北海道
国籍 日本
活動期間1980年(昭和55年) -
ジャンル少年漫画・青年漫画
代表作究極超人あ?る
機動警察パトレイバー
じゃじゃ馬グルーミン★UP![1]
受賞第19回:星雲賞マンガ部門(『究極超人あ?る』)
第36回:小学館漫画賞(『機動警察パトレイバー』)
公式サイト ⇒ゆうきまさみのにげちゃだめかな?
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ゆうき まさみ(本名:佐藤 修治[2]、本名読み:さとう しゅうじ、1957年12月19日[1] - )は、日本の男性漫画家。北海道虻田郡倶知安町出身[3][4](札幌市生まれ[5])。北海道倶知安高等学校卒業[6]。
1980年(昭和55年)『月刊OUT』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく[7]、サラリーマン稼業の傍らでみのり書房やラポートの雑誌で活動する。退職後[8]に「きまぐれサイキック」で『週刊少年サンデー』(小学館)での活動を開始し、以降主に同誌において活躍した。
代表作に『究極超人あ?る』・『機動警察パトレイバー』・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』[1]など。 1957年(昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を東京都中野区や千葉県で過ごす。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、石森章太郎の『マンガ家入門
来歴
生い立ち
中学生の時に母親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす[11]。ちなみに、『究極超人あ?る』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという[3]。 1975年(昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職する[10]。 1977年(昭和52年)の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた江古田のまんが画廊に通うようになる[10]。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』(水谷潤)という有名な同人誌を見て触発されて自身もパロディ要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる[10]。 また、川村万梨阿やとまとあきらとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『機動警察パトレイバー』へと繋がって行く[12]。 まんが画廊でみのり書房がパロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む[13]。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT』1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする[13]。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目[注 1]だけであった[14]。 その後も、同誌でコンスタントにアニパロ(アニメのパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」[注 2]が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく[7]、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった[13]。 活動の場をラポートの『アニメック』やOUTの増刊として始まった『アニパロコミックス[注 3]』と増やし、新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく[13]。
デビュー前
アニメ誌でのデビュー