や団
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や.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}団(だん)
左からロングサイズ伊藤、本間キッド、中嶋享
メンバー本間キッド
中嶋享
ロングサイズ伊藤
結成年2007年[1]
事務所ソニー・ミュージックアーティスツ
活動時期2007年 -
出身NSC東京校6期中退(伊藤)
出会いソニー・ミュージックアーティスツ
現在の活動状況ライブ、テレビなど
芸種コント
ネタ作成者本間キッド
現在の代表番組『や団の弾丸ラジオ』
同期本間・中嶋
アキラ100%
酒井健太(アルコ&ピース
三四郎など伊藤
とにかく明るい安村
大・五明拓弥(グランジ
かもめんたるなど
公式サイトプロフィール
受賞歴
2011年 第4回SMAホープ大賞 優勝
2019年 第13回SMAホープ大賞 優勝
2020年 第14回SMAホープ大賞 優勝
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や団(やだん)は、SMA NEET Projectに所属するお笑いトリオキングオブコント2022・2023ファイナリスト。
メンバー
現メンバー
本間 キッド(ほんま キッド、
1982年12月23日[1] - )(41歳)
ツッコミ(ネタによってボケ)・ネタ作り[2]担当。旧芸名及び本名、本間 徹哉(ほんま てつや)。埼玉県富士見市出身、日本大学卒業。身長168 cm、体重60 kg血液型AB型[1]。事務所の先輩であるハリウッドザコシショウの命名により、2016年10月から芸名を「本間キッド」に変更[3]。由来は「ダイナマイト・キッド」。趣味はプロレス格闘技観戦、Tシャツ収集[1]。特技は柔道(弐段)、ブラジリアン柔術グラップリングなどの格闘技[1]。お笑いプロレス「西口ドア」に「獣珍サンダーライガー」として参戦していた[4]が、2020年2月を以て引退。小学生時代の夢はプロレスラー[5]だったが、中学時代に『ボキャブラ天国』(フジテレビ)が好きで[6]、特にネプチューンを好んでいたことから芸人の道を選んだ[7][8]
中嶋 享(なかしま とおる、1982年6月23日[1] - )(41歳)
ボケ(ネタによってツッコミ)・リーダー[6][9][10]担当。埼玉県三芳町出身、日本大学卒業。身長171 cm、体重60 kg。血液型A型[1]。特技はバスケットボール[1]。趣味はラーメン屋めぐりで、Twitterで日々行ったラーメン屋についてツイートしている。バイト先もラーメン屋である[11]
ロングサイズ伊藤(ロングサイズいとう、1981年3月22日[1] - )(43歳)
ボケ・演技担当。本名、伊藤 和希(いとう かずき)。神奈川県出身、東京実業高等学校卒業。東京ビジュアルアーツ中退[12]。身長183 cm、体重74 kg、血液型A型[1]。趣味はスポーツ全般、特技はハーモニカ[1]。テレビでのダウンタウンを観てお笑いに興味を持ち、高校卒業後の19歳時点でNSCへ入学(東京校6期)[11]。芸名の候補には「ワンダーボーイ」「ワンダーボーイ伊藤」などがあったが、最終的に現在のもので決めた[13]
旧メンバー
海野 健太郎(うみの けんたろう、
1983年3月31日 - )(41歳)
ボケ担当。茨城県出身、血液型AB型。伊藤と入れ替わりの形で2007年に脱退、同時に芸能界を引退した[2]
概要・芸風

本間と中嶋は小学校6年から中学時代まで同じクラスだった[6]。中学3年時に3on3の大会に出るグループ名として、カタカナ書きの「ヤ団」が誕生[2]。大学4年の頃、やることもなく町をうろつきながら動画を撮影していた際、本間と高田馬場にあるラーメン屋に入る。この店が「渡なべ」という名前で、ひらがなと漢字の組み合わせがしっくりきたことから「ヤ」をひらがなにした[2]。トリオ名の由来は毛利元就の三本の矢、というのは後に先輩の発案を拝借しただけでデマである[2]。アクセントは「ジダン」と同じ[2]

同じ大学へ進学したが、学部の違いから本間は静岡へ向かう。一方で東京の中嶋は大学1年の頃からお笑いを志したが、漫才コンビを組みたいと考えていた本間が静岡にいることから叶わず、海野を相方に選ぶ。しかし本間の事を諦めたわけではなく、静岡に時々顔を出すことで関係を繋ぎ止めていた。またトリオで活動するのを見越して、海野を通じて本間をコンサートに誘うなどして親交を深めていった。静岡にいた本間はお笑いやミュージシャンなど表現の仕事に携りたいと考えていたが、親には打ち明けられず就職活動に励んで実際に就職先の研修にも足を運んだ。しかし大学卒業と共に就職を擲って東京に戻り、や団を結成するに至ったという[2]

当初はフリーで活動していたが事務所入りを検討する時期になり、ネプチューンが好きだったことからワタナベエンターテインメントを目指す。しかし別の芸人から設立されたばかりのSMAを勧められ、実際にSMAで面接に立ち会ったのが日大の先輩である平井精一であったことから、2005年4月からSMA NEET Projectに所属する運びとなる[2]。他事務所からの移籍者が多かったSMAの中では数少ない、生え抜き組であった[11]

スタート時は本間・中嶋・海野によるトリオで事務所ライブにおけるトップ集団での常連であったが、2007年、(留年を重ね)大学卒業を機に就職・結婚を機に海野が脱退。トリオでの活動は続けたいと考えていたところ、面接でもアドバイスを受けた平井からピン芸人として活動していた海野と同じ身長であった伊藤の存在を知らされる。伊藤は一時期NSCに入学していたが、勉強してまでお笑いをすることに違和感を覚え2か月で中退。以降は就職していたがお笑いを諦めきれず、SMA NEET Projectに在籍していた。当初はフリップ芸などを行なっていたが、事務所ライブでは最下位にいた。そのため平井が伊藤を紹介した当時は「辞めてしまうかもしれない」という状態であった。こうして伊藤が加入し、現在のメンバーとなる[2][6]

芸風は主にコント。本間の好みで、ザ・クロマニヨンズの「弾丸ロック」をもじった「弾丸コント」というキャッチコピーをつけている[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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