やくみつる
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芸人の「やくみつゆ」とは別人です。

やく みつる
本名畠山 秀樹(はたけやま ひでき)
生誕 (1959-03-12) 1959年3月12日(65歳)
東京都世田谷区
職業漫画家
活動期間1979年 - 現在
ジャンル4コマ漫画風刺漫画
代表作『パロ野球ニュース
受賞第42回 文藝春秋漫画賞1996年
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やく みつる(本名:畠山 秀樹〈はたけやま ひでき〉、1959年3月12日 - )は、日本漫画家好角家日本昆虫協会の副会長。現在はテレビ番組ラジオ番組コメンテーター[1] 及びエッセイストとしても活動している。

「やくみつる」の芸名は、麻雀の「役満」を捩ったもの[2]。1981年のデビュー時は「はた山 ハッチ」を名乗っていた[1](「#来歴」参照)。
来歴

東京都世田谷区桜新町出身。両親は秋田県出身[3]桐蔭学園中学校、同校高等学校普通科、早稲田大学商学部卒業。学位は商学士[2]。在学中は、早稲田大学漫画研究会に所属。

1981年にはた山 ハッチ(はたやまハッチ、Hatch Hatayama)名義で、漫画家として『まんがタイム』誌でデビュー。「パロ野球ニュース」などプロ野球4コマ漫画を経て、『やくみつるのガタガタ言うゾ!』などの時事4コマ漫画をやくみつる名義で執筆するようになる。

代表作は1994年から『しんぶん赤旗』日曜版で連載している『やくみつるの小言・大言』[4]

時事ネタを扱うようになってからは、テレビ番組のコメンテーターなどのタレント活動もしている。

妻はアシスタントの畠山利奈子(やく利奈子)。
人物
漫画家として

大学生の頃に学費を稼ぐために漫画の執筆を開始する。ストーリー漫画の執筆はできないため、似顔絵描きや4コマ漫画で薄利多売をする方法で活動を続けた。自身の漫画業界における成功経験を重視し、漫画の持つ文化的な側面を軽視する傾向にある。少年漫画については「子どもに少年漫画は見せたくないというのが私の持論である。漫画なんて成人向け週刊誌の間に息抜き程度にはさまっているだけで十分な代物だと思う」と強く否定し[5]、ストーリー漫画家についても「それなりの原稿料をもらい、さらに、印税で巨万の富を得るのはムシのよすぎる話。やはり漫画家たるもの1枚ナンボの世界に身を置きたいもの。」と評した[6]

4コマ漫画については1994年頃に「漫画家を志す者にとって、4コマというのは参入しやすいものに見えるらしい。」「ところが、いわゆる一般の週刊誌に描ける漫画家となると、ほんの一握りに過ぎない」と述べる一方、同人誌出身の漫画家については「漫画同人系から入ってきた連中は手に負えない。彼らは、仲間内で楽しめばいいという感覚をひきずったままプロになる。そのため、人に読んでもらうということに対しての自覚が皆無に等しい。ネタについてのとらえ方も、独善的で、あいまいだ。こういう輩が跋扈(ばっこ)する限り、業界はますますヒドくなっていくだろう。」と著し[7]た。やくは「漫画嫌い」を公言し、2015年10月19日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』で、漫画は読むのも描くのも時間の無駄であると語った[8]
プロ野球4コマ漫画家として

荒唐無稽な要素が少なく、ヒーローインタビューや試合の経過などといった、実際に起こったことを取り上げて批判する作風である。また自身を頻繁に漫画に登場させて、登場人物と絡らませることも特徴になっている。

1981年に『まんがタイムオリジナル』でいしいひさいちの『がんばれ!!タブチくん!!』を模倣した『がんばれエガワくん』の連載が人気となり、1985年の『まんがスポーツ』にメイン作家として起用された経緯から、いしいひさいちに便乗した漫画家の筆頭とされる。ただし、やくは、題材とした江川と同じ部屋にもいたくないと公言するほど江川を嫌っており、タイトルも江川を主役にしようと決めたのも、芳文社の編集者主導によるものだった[9]

自らの比較的現実的な作風を考慮せず、すぐにフィクションと区別がつかないような事を書くことも多かった。一例を挙げると、桑田真澄が目に沁みないように予め自分でビールをかけているところを取り上げ、「一人ビールかけで総スカン」などと書いたことがある(巨人が強行指名したという経緯もあり、いしいひさいちも桑田を悪人顔に書いていたが、荒唐無稽な話で笑わせていた)。また、衝突事故によって吉村禎章に重傷を負わせた栄村忠広背番号66からダミアンと名付け、衝突事故を執拗にネタとして扱った。熱狂的な横浜ベイスターズファンながら、選手の好き嫌いが激しく、高木豊佐々木主浩などには、辛辣なネタを描くことが多かった。例としてまだリリーフ分業制が確立していない時代に、佐々木が9回限定で登板していたことをネタにし、暴漢に襲われる女性が、自ら反撃しながら苦労して取り押さえたところで、やっと佐々木が助けに来るという話があった。

その後、キャリアとしては全盛期に『まんがパロ野球ニュース』(現『まんがくらぶオリジナル竹書房)の看板作家の座を、同じく横浜ベイスターズを題材としていたみずしな孝之(荒唐無稽な要素と、日常的な要素を併用していた)に追われている。ほぼ正反対だった作風の『きまぐれMVP!』(たかみね駆)を名指しで批判したこともある[注 1]

2011年に横浜ベイスターズがDeNAに買収されると、やくは長年の横浜ベイスターズファンであることを公言してきたが、DeNAが課金制の携帯電話向けゲームを運営する会社であることを「疫病神」などと罵倒し、ベイスターズファンを(親会社が代わるまで)やめると宣言した[10]。「はた山ハッチ」名義でもファン休止宣言を行った[11]。やくはDeNAに対して、自身が横浜ファンに戻る「チャンスを与える」として「DeNAも新業種に(大洋ホエールズと同じ)遠洋漁業を加えてみろ。」と要求している[12]

しかし、親会社変更直後のシーズンである2012年の開幕(4月3日)から『神奈川新聞』にて『はた山ハッチの それでもガンバれ!!中畑ベイスターズ』[13] と改題して、シーズン中の1コマ漫画連載は継続。後になって「横浜ベイスターズが横浜DeNAベイスターズとなってから、“決別宣言”をした僕ですが、ベイスターズのことはずっと応援しています」[14]と発言しており、休止宣言は実体の伴わない口先だけのものであった。
風刺漫画家として

1994年から『しんぶん赤旗』日曜版で連載している『やくみつるの小言・大事』[4] を連載しているほか、民主党の『マンガ版よくわかる民主党政策』を執筆する[15] などがある。
テレビのコメンテーターとして

プロ野球などについて物議をかもす発言を多く残しているが、テレビ番組で共演している水道橋博士によれば「茶番劇」の中で悪役を演じているだけだという[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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