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ジャンルバラエティ番組 / お笑い番組
出演者清水アキラ
ビジーフォー
(グッチ裕三・モト冬樹)
栗田貫一
コロッケ
ほか
製作
プロデューサー木村忠寛
制作フジテレビ
放送
放送国・地域 日本
第1シリーズ(深夜時代)
放送期間1989年10月4日 - 1990年9月26日
放送時間木曜 1:10 - 1:40(水曜深夜)
放送枠JOCX-TV2
放送分30分
第2シリーズ(ゴールデン時代)
放送期間1990年11月2日 - 1992年3月27日
放送時間金曜 19:00 - 19:30
放送分30分
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『ものまね珍坊』(ものまねちんぼう)は、フジテレビ系列で1989年10月4日から1992年3月27日放送されていたものまねを主体とするお笑いバラエティ番組である。通称『もの珍』。 『ものまねくらぶ』の後継番組で、同局のバラエティ特番『ものまね王座決定戦』に端を発する“ものまねブーム”によってブレイクした直後のものまね四天王やその他のものまねタレントの出演者を起用していた。『ものまね王座決定戦』は不定期特番だったことから、この番組はものまね四天王をレギュラーで毎週見ることができる番組となっていた。 1989年10月4日から1990年9月26日までは毎週木曜日 1:10 - 1:40(『JOCX-TV2』枠、水曜深夜、JST)に深夜番組として放送されていた。後に高視聴率に伴いゴールデンタイム・プライムタイムへ昇格されて、1990年11月2日から1992年3月27日までは毎週金曜日 19:00 - 19:30(JST)に放送されていた。 レギュラーの1人・コロッケが『ものまね王座決定戦』を降板するのに伴い、番組は1992年3月27日放送分をもって放送終了。『ものまねくらぶ』時代と合わせて約3年の歴史に幕を下ろした。 いずれも日本標準時。
概要
放送時間
1989年10月4日 - 1990年9月26日
木曜 1:10 - 1:40(水曜深夜) - 『JOCX-TV2』枠で放送。
1990年11月2日 - 1992年3月27日
金曜 19:00 - 19:30
出演者
メインキャスト
ものまね四天王
清水アキラ
ビジーフォースペシャル(グッチ裕三・モト冬樹 ほか)
栗田貫一
コロッケ
レギュラー
ものまね女四天王
松居直美
斉藤ルミ子
松本明子
篠塚満由美
ものまねお笑い四天王
ダチョウ倶楽部(肥後克広・寺門ジモン・上島竜兵)
笑福亭笑瓶
ピンクの電話(清水よし子・竹内都子)
しのざき美知
岩本恭生(現:岩本恭省)
パル(現:葉月パル)
やや
城之内早苗
原田ゆかり
小池聰行(オリコン社長) - 主にオリコンベスト10のコーナーを担当(何曲か四天王の誰かによるものまねやパロディーのVTRで紹介)。
野口五郎 - 第1回に「ご本人ゲスト」で出演してから事実上の総合司会に定着。
このほか、毎回1組のゲストが出演していた。
コーナー
ご本人と一緒
メンバーの一人がものまねを披露し、途中でものまねされる本人(ゲスト)が登場して一緒に歌う。なお、このコーナーは当時『ものまね王座』の正月版『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』で実施されており、2000年12月末から放送中の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』でも行われている。
CMパロディ
当時流行していたCMのパロディコーナー。周りのセットや小道具、テロップなどの再現度はかなり高く、本物ときわめて似た状態を作り上げていた。企業名・商品名は「ものまね」「珍坊」やそれに準じた言葉と重ね合わせたものに変更されていた。例としてNTT→「MTT」、SONY→「MONY」、アリナミンA→「マネナミンA」、サントリーホワイト→「チンボリーホワイト」、フマキラー→「マネキラー」、味の素(ajinomoto)→「真似の素(manenomoto)」などで、ロゴマークも本家をアレンジしたものが表示されていた。清水アキラが全裸になるパートや(谷村新司のものまねが中心だった)、モト冬樹のハゲネタ(さだまさしのものまね)がしばしばオチとして扱われた。
ものまねスター誕生
一般応募の視聴者がものまねを披露し、四天王とゲストが採点するオーディション企画。素人時代の山口智充 (DonDokoDon) やコージー冨田も出演していた。1994年から日本テレビで不定期放送された『ものまねバトル大賞』も本コーナーと同名のコーナーを行っていたが、こちらは採点形式ではなかった。
まねドン!
金曜移動後にスタート。「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のパロディ。