みなもと太郎
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みなもと 太郎
本名浦 源太郎
(うら げんたろう)
生誕 (1947-03-02)
1947年3月2日
日本京都府京都市上京区(現:北区
死没 (2021-08-07) 2021年8月7日(74歳没)
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1967年 - 2021年
ジャンルギャグ漫画歴史漫画
代表作『ホモホモ7
風雲児たち
受賞

第8回手塚治虫文化賞特別賞(『風雲児たち』)

第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『風雲児たち 幕末編』)

第49回日本漫画家協会賞コミック部門大賞(『風雲児たち』)

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みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年昭和22年〉3月2日[1] - 2021年令和3年〉8月7日)は、日本漫画家京都府[1]京都市出身。本名は浦 源太郎(うら げんたろう)。ペンネームは本名の「源」を読み替えたもの。代表作は『ホモホモ7』『風雲児たち』。
来歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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京都市上京区(現在の北区域)に生まれる。常に走り回っていたような落ち着きがない子どもであったが、2歳の頃に漫画に触れて絵を描き始め[2][3]、中学の3年間では授業中ほとんど漫画を描いていた[2]

京都市立日吉ヶ丘高校美術課程に進学。漫画家になることを反対していた姉から大学への進学を強硬に勧められるも、美術大学は漫画家への理解を欠くこと、当時は漫画家デビューは20歳までと相場が決まっていたことを知り、漫画家への道を絶望視する。しかし高校1年時に姉が死去したため、「悲しいけれども、『マンガ家への道はこれで拓けるかもしれない』と思った」という[2]。在学中、京都の撮影所で映画の仕出しのアルバイトで時代劇や特撮テレビドラマ『アゴン[注 1]などに出演し、その縁もあって吉田義夫などの古参の俳優とも交流している。

高校卒業後[1]、呉服商の悉皆屋でデザイナーとして勤務するも、3か月で退職して東京へ転居。偶然知り合った平塚らいてうの孫の自宅に居候しながら、出版社との契約や写植など漫画家になるための方法を尋ねるため、各出版社や白土三平一峰大二貝塚ひろし水野英子石ノ森章太郎あすなひろしちばてつや藤子不二雄藤本弘安孫子素雄)、つのだじろう赤塚不二夫水木しげるなどの漫画家の自宅を1か月間訪問して回った。ただし、手塚治虫の自宅へは怖くて行けなかったという[2]1967年9月、『別冊りぼん秋の号』(集英社)に掲載された『兄貴かんぱい』でメジャーデビューを果たす[1]

1970年、『週刊少年マガジン』(講談社)で連載が始まった前衛的ギャグ漫画ホモホモ7』が高い人気を得る[5]1979年に『少年ワールド』(潮出版社、のちの『コミックトム』)で連載が始まった『風雲児たち』で歴史漫画家としての作風を確立し、以降は主に歴史ギャグ漫画を執筆するようになった。2001年からは『コミック乱』(リイド社)で『風雲児たち 幕末編』を連載しつつ、『風雲児たち』外伝として描き下ろしのコミックスも発表している。

デビュー当初から商業誌で活躍するかたわら、創作集団「作画グループ」のメンバーとしても作品を発表し続けた[6][7]

2004年第8回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。受賞内容は「歴史マンガの新境地開拓とマンガ文化への貢献に対して」のものであり、代表作『風雲児たち』の業績を評価されたがゆえの受賞である[8]2010年には『風雲児たち 幕末編』で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し[9]2020年には『風雲児たち』で第49回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した[10][11]

漫画文化をめぐる発言や評論、漫画の表現技法の分析にも積極的に取り組み[12][13]文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員や文化庁芸術選奨推薦委員・選考委員を務めたほか[14][15]手塚治虫文化賞選考委員を第19回(2015年)から第24回(2020年)まで務めた[16]公益社団法人日本漫画家協会では参与会員として多くの事業に協力している[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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