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やノートページでの議論にご協力ください。みどりの窓口(みどりのまどぐち)は、主にJRグループの旅客鉄道各社が設置・営業する乗車券類発売所(出札所)のうち、マルス端末が設置され、JRグループ旅客全社の鉄道線乗車券類(乗車券・特急券・指定券など)やJRバス路線、高速、ツアーバスの座席指定制路線の乗車券・指定券などを総合的に発券できる発売所である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}窓口形式でない発売所も多い。[要出典] マルス端末が設置された日本国有鉄道(国鉄)の発売所システム・ネットワークを継承する形で、JR旅客6社の主な駅と、その他一部鉄道事業者(主にJRから経営移管した事業者、JRとの直通列車を運行する事業者)の駅に設置されている。日本の一部大手旅行会社・空港旅客ターミナル・バスターミナル・フェリーターミナルなどにも設置されている。ブランドとシステムを継承しているだけで、みどりの窓口の標示はロゴマークを除き、各社に違いがある。 みどりの窓口のマークは国鉄分割民営化により誕生した東日本旅客鉄道(JR東日本)が1992年(平成4年)に出願し、1996年(平成8年)8月1日付で同社の登録商標(第3116438号)としている[1][注 1]。「みどりの窓口」の呼称は当初はJR旅客6社全社で使用していたが、東海旅客鉄道(JR東海)は「みどりの窓口」の呼称を順次取りやめて「JR全線きっぷうりば」の表記を用いている(詳細後述)。 駅務室に窓を設けただけの小さなものから、ターミナル駅の大規模な窓口までその形態は様々である。乗降人員の少ない駅では、窓口専任の係員を配置せずに有人改札の係員が窓口業務を兼務している。1988年3月12日までは座席指定券類のほかに青函連絡船による自動車航送予約も引き受け、航送当日に桟橋窓口に車検証を持参して乗船名簿に記入した。 みどりの窓口の発祥は、門司鉄道管理局が全国に先駆けてはじめた国鉄セールスマンによる団体旅行勧誘に始まる。当時、小倉、博多、佐賀、佐世保、後藤寺の各駅に1人ずつ配属されたが、小倉駅の助役で当時41歳の渡辺清が第一号で、現在の「みどりの窓口」の発案者の1人でもある。この模様は1963年12月27日発行のアサヒグラフで取り上げられ、NHKも放送した。 名前の由来は、切符の地紋が常備券は赤や青であるのに対し、この窓口で発券されるものは淡い緑色であることによる[3]。1990年代後半からは緑色に代わり、偽造防止を兼ねて濃い水色の帯と「JR」マークのホログラムを施している。 1960年代までは、東海道新幹線や特急列車など優等列車の指定券や寝台券は列車ごとの台帳で管理され、空席照会や予約に際して窓口から台帳の保有駅や統括する乗車券センターへ電話連絡していた。
概説