みうらじゅん
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フジテレビ社員の「三浦淳」あるいは「三浦淳 (ドイツ文学者)」とは別人です。
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出典検索?: "みうらじゅん" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年10月)

みうら じゅん
第29回東京国際映画祭にて(2016年
本名三浦 純
生誕 (1958-02-01) 1958年2月1日(66歳)[1]
京都府京都市[1]
国籍 日本
職業漫画家イラストレータータレント
活動期間1980年 -
ジャンルギャグ漫画
代表作『アイデン&ティティ
受賞

仏教伝道文化賞沼田奨励賞本屋大賞発掘部門「超発掘本!」(「ない仕事」の作り方)
公式サイト ⇒http://www.miurajun.net/
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みうら じゅん (本名:三浦 純[2]1958年2月1日[1] - )は、日本漫画家イラストレーター

血液型:AB型[1]、ニックネームはMJ、じゅんちゃん、みうらさん。

妻はシンガーソングライターbird

京都府京都市出身[1]東山高等学校武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。

職業については、エッセイスト小説家ミュージシャン評論家ラジオDJ編集長ライター解説者など幅広い分野で活動しており、公表している職業は「イラストレーターなど」。

亡き祖父は『拓本による京の句碑』を出版した饗庭蘆穂(あいば あしほ)[3]
来歴
デビューまでの経緯

小学生時代から仏像と怪獣が好きな少年で、京都や奈良の仏像をめぐる。仏像が好きすぎて仏教系の学校に入学したが、途中でエロに興味が出て仏像に飽きる。仏像が好きな理由は、怪獣のように見上げる迫力があったからだという。

高校一年生でカセットデビューしてオリジナルソングは全16巻450曲に及ぶ[4]

高校時代から絵描きを目指し、2浪後に武蔵野美術大学に入学する。在学中から、友人が糸井重里の事務所に勤めていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「タダでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた。
1980年代

1980年に『ガロ』誌上でデビュー[2]。『ガロ』に持込をしたのは、他に掲載させてくれる雑誌はないと周囲に言われ判断したためだが、それでも当時編集長の渡辺和博の判断で何度もボツになった。デビュー作の「うしの日」も、一旦はボツになったが、その後、渡辺と親交の深かった糸井の「載せてあげれば?」の一言で掲載された[5]。初期の頃の画風は現在とは全く違い、デビュー前は和田誠を真似た絵だったので、ガロに持ち込みに行った時には渡辺和博に「和田誠って名前変えれば?」と言われた。それからひさうちみちおの絵を真似たり試行錯誤したことから、デビュー時は「ヘタクソなひさうちみちお」のような絵であった[6]

みうらとガロとの出会いは、小学生の頃に熱を出して学校を休んだ際、父親が貸本屋から希望してた『COM』と間違えて『ガロ』を借りてきてしまい、つげ義春の『ゲンセンカン主人』の温泉シーンで始まった(抜いた)と後年語っている[7]

1982年には講談社の発行する『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞で佳作を受賞する[2]。以後、『ビックリハウス』や『宝島』などの各雑誌で、関西ネタや怪獣ネタのエッセイイラストを執筆する。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1986年に刊行された、糸井重里を「相談」役にすえた漫画集『見ぐるしいほど愛されたい』で、キャンプなものを題材とする現在のスタイルを確立した[要出典]。本人曰く、漫画を描くのは大嫌いであるが、完成原稿を並べて俯瞰で見ることだけが楽しみで描いているという。一般的にゆるい絵柄で知られているが、それはカエルの絵などに限り、人物や仏像などは時間をかけて描くことが多い。[要出典]

1980年代後半からテレビ・ラジオでの出演も増え、多彩な活動を見せ始め、1989年には『いかすバンド天国』に喜国雅彦(漫画家)、滝本淳助(写真家)らと「大島渚」(由来は同名の映画監督大島渚より)という名のバンドを結成して出演し、『カリフォルニアの青いバカ』というオリジナル楽曲を披露した。
1990年代

1991年ごろには女装に凝り、いとうせいこう安斎肇と「バギナーズ」という「女装バンド」を結成した。「ナオミ」の名でボーカルとギターを担当(安斎は「キャンディ・O」、いとうは「マリエ」)。バギナーズは外タレという設定で「遂に来日」「日本上陸」等と謳っていた[8]

1994年にはハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、映画俳優の田口トモロヲとユニット「ブロンソンズ」を結成。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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