まちぶせ
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この項目では、楽曲について説明しています。アルバムについては「まちぶせ (アルバム)」を、その他の用法については「待ち伏せ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「まちぶせ」は、荒井由実が作詞・作曲した楽曲。編曲は松任谷正隆による。三木聖子への提供曲として作られ、1976年シングルが発売された。のち、1981年石川ひとみのカバーシングルが発売され、石川の最大のヒット曲となった。さらに、松任谷由実本人によるセルフカバーシングルが1996年に発売されており、他にも多くの歌手によって歌われている。
背景

「まちぶせ」の歌詞は、ユーミンが三木に実体験をインタビューして作られたと言われている[1]。後に石川ひとみも、「自分にも同じ体験があり歌詞が素直に入ってきた」と述べている[2]。荒井由実(松任谷由実)はフランソワーズ・アルディのファンで、「私のフランソワーズ」という楽曲もあるが、この「まちぶせ」は、フランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」から翻案された曲。
三木聖子のシングル

「まちぶせ」
三木聖子シングル
初出アルバム『聖子』
B面少しだけ片想い
リリース1976年6月25日
ジャンルポップス歌謡曲
レーベルキャニオン・レコード
NAVレコード
作詞・作曲荒井由実
チャート最高順位


47位(オリコン

三木聖子 シングル 年表

まちぶせ
(1976年)恋のスタジアム
(1976年)


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三木聖子のデビュー・シングルとして1976年に発売された。アレンジを担当した松任谷正隆は「当時の日本の音楽業界って85%が歌謡曲だったような時代ですから、そこに新たなサウンドの広がりみたいなのを必要とされて、彼女(ユーミン)のところに曲の依頼がきたんじゃないでしょうか。」と語っているが、彼自身は元々ユーミンの歌謡曲らしくない作風が好みだったので、この歌謡曲風な「まちぶせ」が気に入らず、「メロディに大分抵抗してアレンジしたような気がします。いろいろ被せてしまえ、みたいな(笑)」とアレンジを振り返っている[3]。一方、詞に関しては「ストーカーの歌ですよね(笑)。メロディはともかく、詞は彼女でなければ書けない世界」と高く評価もしている[3]
収録曲

Side A:まちぶせ作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆
2014年の映画『海を感じる時』(監督:安藤尋)では、原作である中沢けいの小説での「ロマンス」(岩崎宏美)と差し替えられる形で使用されている。

Side B:少しだけ片想い作詞・作曲:荒井由実、編曲:瀬尾一三こちらはカバーで、原曲は荒井由実のアルバム『COBALT HOUR』に収録されている。

参加ミュージシャン

ドラム:
田中清司

ベース:後藤次利

エレキギター:松原正樹

アコースティックギター:吉川忠英

キーボード:松任谷正隆

パーカッション:斉藤ノブ

コーラス:シンガーズ・スリー,ザ・ムギフミ

石川ひとみのシングル

「まちぶせ」
石川ひとみシングル
初出アルバム『まちぶせ
B面懐かしきリフレイン
リリース1981年4月21日
ジャンルポップス歌謡曲
時間3分36秒
レーベルキャニオン・レコード
作詞・作曲荒井由実
チャート最高順位


6位(オリコン[4]

1981年度年間33位(オリコン)[5]

1981年度年間10位(ザ・トップテン)

1981年度年間21位(ザ・ベストテン)

3位(ザ・ベストテン

2位(ザ・トップテン

石川ひとみ シングル 年表

夢番地一丁目
(1981年)まちぶせ
(1981年)三枚の写真
(1981年)

収録アルバム『まちぶせ

セシルの部屋
(1)まちぶせ
(2)ためらい
(3)


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石川ひとみによる「まちぶせ」は、1981年4月21日に11枚目のシングルとして発売された。また、同年10月に発売された次作のシングル「三枚の写真」も三木聖子のカバーである。

オリコンチャートで石川のシングルでは唯一10位以内にランクし(最高6位[2]・同年年間ランキング33位)、またTBSテレビザ・ベストテン』でもランクインした(最高3位・9週連続ベストテン入り、ザ・ベストテン同年年間ランキング21位)。さらに同年大晦日の『NHK紅白歌合戦』にもこの曲で初出場を果たした。
収録曲
まちぶせ(3分36秒)作詞・作曲:荒井由実/編曲:松任谷正隆

懐かしきリフレイン(3分32秒)作詞:
山上路夫/作曲:浜田金吾/編曲:渡辺茂樹

「まちぶせ」までの石川ひとみ

NHK人形劇『プリンプリン物語』の主役としての活躍やバラエティー系テレビ番組出演はあったものの、1978年のデビュー以来、歌手としての石川ひとみは鳴かず飛ばずであった[2]。「まちぶせ」までに10枚のシングルを発売しているが、オリコンでの最高位は2枚目「くるみ割り人形」の42位であり、うち3枚は100位以内へのランキング入りすらしなかった。そのため本人も、今後について考え悩んでいたという。

三木聖子のカバーのこの歌をシングルとして歌うことになったときには、「この歌だったら、これが私の歌手生活のピリオドになっても悔いはないな」と思ったという[3][6][7]。高校卒業の18歳で上京・デビューする際、(高校の同級生が大学を卒業する)4年をメドとするという約束で両親を説得[8]し、本人も「最低4年は頑張ろう」と考えていたその4年目にあたり、また「まちぶせ」までのシングル10枚で満足する結果を出せなかったことで、「この曲で歌手としては一区切りつけるつもりだった」と述べている[2][6][8]
シングル制作の経緯


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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