ますむらひろし
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出典検索?: "ますむらひろし" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年4月)

ますむらひろし
本名増村 博[1]
生誕 (1952-10-23) 1952年10月23日(71歳)
日本 山形県米沢市
職業漫画家
活動期間1973年 -
ジャンルファンタジー漫画、風刺漫画、SF漫画
代表作「アタゴオル物語」、「コスモス楽園記」、「銀河鉄道の夜」等
受賞第26回日本漫画家協会賞大賞
第11回イーハトーブ賞
公式サイトごろなお通信
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ますむら ひろし(本名、増村 博[1][2]1952年昭和27年)10月23日[1][2] - )は、日本の男性漫画家山形県米沢市出身[1]山形県立米沢興譲館高等学校卒後、東京デザイナー学院@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}二部商業デザイン科[要出典]卒業[1]
略歴

横尾忠則伊坂芳太良に憧れてイラストレーターを志し、1971年に上京しデザイン学校に通った[2]

1973年に21歳でに本名の「増村博」名義で賞金目当てに応募した『霧にむせぶ夜』が第5回手塚賞に準入選。

その後『ガロ』誌に作品を発表。1975年からしばらく青林堂に入社して働いていたこともある[3]。『マンガ少年』誌で「ますむらひろしのファンタジーゾーン」(単行本『アタゴオル物語』収録作品およびSF作品の短編)シリーズを発表。

1997年、第26回日本漫画家協会賞大賞受賞(『アタゴオル玉手箱』)。 一連の宮沢賢治作品の漫画化などの業績により、2001年に第11回イーハトーブ賞受賞。

60歳で漫画家を引退する予定だったが、そんな時期に『赤旗』日曜版から宮沢賢治作品の漫画連載の依頼があり、2014年から同紙で宮沢賢治の短編童話を連載。作品は『やまなし』『虔十公園林』『オツベルと象』『ひかりの素足』。同作品は2015年にミキハウスから単行本化され、『アタゴオルは猫の森』完結から3年半ぶりの単行本の刊行となった。この単行本発売にあたっての『しんぶん赤旗』日曜版のインタビュー(2015年8月2日号)で、『銀河鉄道の夜』と『グスコーブドリの伝記』の漫画化に再び挑戦すると表明している[4]。銀河鉄道の夜(第4次稿)300枚を、一年間掲載予定。漫画家としての活動は減ったが、株式会社風呂猫によるグッズ製作やイラストの寄稿など作家としての活動は幅広い。美術館での展覧会も、二千年代から始まり、八王子市夢美術館、岩手県立美術館、山形美術館、墨田北斎美術館など。北斎や宮沢賢治の世界に対する猫化による表現は、現代の国芳的でもある。
人物

元喫煙者である[5]。妻は1977年に結婚した元少女漫画家の中村昭子で[2]、彩色はすべて彼女がおこなっている。
作風

デビュー当初から作風や表現方法は変化し続けているが、どの時代も一貫して言えるのは童話的、あるいは教訓的な作風である。ますむらの代表作「アタゴオルシリーズ」では一貫して猫と人間が共存する世界を描いており、現実の猫とは異なり人間のように直立し、近代的な文明と独自の文化を持つ存在として描かれている。

プロデビューのきっかけとなった作品『霧にむせぶ夜』に代表されるように、最初期には猫は破壊者・殺戮者である人間の殲滅を企む復讐者として、あるいは人類が滅んだ世界で、その愚かさを嘲う批判者として描かれていた。


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