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ぼてぢゅう(Botejyu[1])は、お好み焼の飲食店チェーンの名称。現在は「ぼてぢゅうグループ」と「大阪ぼてぢゅう」の2社が名乗る。店名は、お好み焼きを「ぼて」と返し、「ぢゅう」と焼くリズムに由来する。 1946年(昭和21年)6月に、西野栄吉夫妻が大阪市西成区玉出に開業したお好み焼き店「ぼてぢゅう」が起源である。店といっても、自宅の軒先に置いたテーブル3台のみであり、屋台に近い規模であった。「とん玉」や「いか玉」をはじめ、焼きそば、鉄板焼、玉子巻などメニューが充実していたことで、玉出近辺では評判の店だった。 1953年(昭和28年)、宮原勝一の出資により宗右衛門町に店舗を構え「玉出ぼてぢゅう」と名乗る。同店は大阪で初めてカウンター方式を採用したほか、宗右衛門町という場所柄、水商売の女性からも支持され、彼女らの口に合うようマヨネーズとからしの味付けを考案し、後に広く受け入れられるようになった。 1957年(昭和32年)、西野は宮原と袂を分かち、同じ宗右衛門町に「ぼてぢゅう総本家」を開業。その後も創業時のメニューを守り、モダン焼きのほか変わり種メニューも加えるなど、「お好み焼きの本家」としての店舗経営を進めたが、2009年(平成21年)5月に破産・廃業した。 西野が去った後、「玉出ぼてぢゅう」は「大阪ぼてぢゅう」と屋号を改め、現在に至る。 BOTEJYU Group ホールディングス株式会社 1962年(昭和37年)7月、西野の玉出時代からの常連客で、薬品会社を経営していた北村貞次が「ぼてぢゅう総本家」の暖簾分けとして創業した。 開業当初から積極的に全国展開を進め、1964年(昭和39年)4月にはぼてぢゅうチェーン統括本部を設置。[2]1965年(昭和40年)に渋谷東急プラザ B2Fに出店したのを皮切りに、東京と関西を中心にチェーン展開を進める。[3] 2001年に栗田英人氏がCEOに就任以降、世界ブランドに向けた総合強化を図ることを目的に、アジアを中心に積極的な海外展開を推し進めている。[4]海外で日本のご当地グルメを提供する店舗の出店数を増やすほか、現地企業と提携し、食材の現地調達に対しても積極的な姿勢を持っている。[5] 2009年にぼてぢゅう総本家が廃業した後は、「ぼてぢゅう」の商標権などすべての権利を引き継いでいる。[6] 2017年にグループ化。現在の正式社名はBOTEJYU Group ホールディングス株式会社で、本社は大阪市西成区岸里。店舗運営会社の大阪フードや東京フードなど関連企業5社を合わせ「ぼてぢゅうグループ」を名乗る。[7] 「ぼてぢゅう」の他に、「BOTEJYU」「JAPAN TRAVELING RESTAURANT」「道頓堀 くり田」「てっぱん屋台」「全国グルメ屋台」「丼ぶり屋台」「BASTA HiRo」など多くのブランドを国内外に展開している。大阪道頓堀に総本店を置き、2024年5月時点で国内51店舗、海外(フィリピン・ベトナム)122店舗の合計173店舗を構える[8]。「ぼてぢゅう」「BOTEJYU」商標権ホルダーとして、異業種とのコラボレーションも積極的に行い、ブランド力を活かした様々な商品を開発・販売している[9][10]。 またご当地グルメを通じた地域活性化にも注力し、「日本が恋しくなる料理」をテーマにしたJapan Traveling RestaurantRを通じて、全国各地のB級グルメ、ご当地グルメの発信を強化している[11]。 大阪市中央区難波に本社を置くぼてぢゅうコーポレーションが運営。かつては梅田や関東地区にも店舗展開していたが現在は縮小し、2016年現在、御堂筋を挟んで東側・難波本通に「本店」、西側・なんば楽座に「西店」の2店舗を構える。
沿革・概要
BOTEJYU Group H.D Co., Ltd.種類株式会社
本社所在地 日本
〒557-0042
大阪府大阪市西成区岸里東2丁目1番11号
BOTEJYU Groupビル 3F
本店所在地〒557-0042
大阪府大阪市中央区道頓堀1丁目6番15号
設立2017年3月
業種小売業
事業内容お好み焼専門店『ぼてぢゅう』をはじめとする飲食店運営
代表者代表取締役 グループCEO 栗田 英人
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ぼてぢゅうグループ
大阪ぼてぢゅう
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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