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この項目では、お笑い芸人のほんこんについて説明しています。
香港特別行政区については「香港」をご覧ください。
その他の同音の事物については「ホンコン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ほんこん
本名蔵野 孝洋(くらの たかひろ)
ニックネームほんこんさん
生年月日 (1963-06-16) 1963年6月16日(60歳)
出身地 日本・大阪府大阪市平野区
身長172cm
言語日本語
方言大阪弁
最終学歴大阪市立東淀工業高等学校
出身NSC大阪校4期
コンビ名130R
相方板尾創路
芸風コント(ツッコミ)
立ち位置右
事務所吉本興業
活動時期1985年 -
同期今田耕司
板尾創路
桂茶がま
長谷川宏(ティーアップ)
現在の代表番組お笑いワイドショー マルコポロリ!
教えて!ニュースライブ 正義のミカタ
過去の代表番組中川家ん!
配偶者既婚
弟子11人
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ほんこん(本名:蔵野 孝洋(くらの たかひろ)、1963年〈昭和38年〉6月16日 - )は、日本のお笑いタレント。漫才コンビ130Rのツッコミ担当。相方は板尾創路。最近は、それぞれピンでの活動が多い。吉本興業所属。吉本総合芸能学院 (NSC) の4期生。
大阪府大阪市平野区出身。大阪市立東淀工業高等学校卒業。身長173cm、体重70kg。既婚。 骨付きカルビの芸名で、NSCの同期である今田耕司と共に「ダブルホルモンズ」としてデビュー。ダブルホルモンズ解散後、「ホンコン・マカオ」の板尾創路からコンビ名を譲り受け、同じくNSC同期の4期生の松本秀文(現:株式会社尚美堂社長)と新たに「ホンコン・マカオ」を結成するも、松本が芸人を廃業して解散[1][2]。 その後板尾と「130R」を結成し、しばらくは関西圏を中心に活動していたが、1991年12月より『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)のレギュラーに抜擢され、1997年11月の放送終了まで番組に出演し、全国的知名度を得るようになる。ダウンタウン以外のごっつのメンバーでレギュラー放送開始から最終回まで出演したのは、ほんこんと今田のみである[注 1]。 130R時代の当初の芸名は本名の蔵野孝洋名義だったが、『ごっつ』でも出演者テロップは本名ながらも、ダウンタウンからは「ホンコン」と呼ばれることが多く、共演者の今田や東野幸治も「ホンコンさん」と呼んでいた。本名で呼ぶのは、後輩のロンドンブーツ1号2号などごくわずかである。1997年に「ほんわかテレビ」で芸名をひらがなの「ほんこん」に改名した。
来歴
人物
吉本興業発行の月刊誌「マンスリーよしもと」で、2000年から2002年まで「吉本ブサイクランキング」の3年連続1位に輝き、殿堂入りしたこともある。よく言う言葉として、「しんどいわ」・「夢も希望もないわ?」。
吉本新喜劇時代は、張り出した頬骨を共演の座員に「飴玉口の中に入れてる?」とイジられるギャグが定番だった。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』の企画で、1997年7月1日に香港がイギリスから中華人民共和国に返還された時に祝福に駆けつけた。
『てるてる家族』で演じた池田栄町商店街の電器屋の主人のイメージが本来とは違う性格に描かれていたため、そのモデルからのクレームで急遽、職種がたこやき屋に変わった。そのため、収録済みの大村崑との共演シーンはお蔵入りとなった。
食事の前には必ず、手を合わせて大きな声で「いただきます」と挨拶をする[3]。
「タモリ倶楽部」にときおり出演。主にマニアック企画において常識人的ポジションで進行役を務めることが多いが、タモリ電車クラブ(TAMORI TRAIN CLUB)の会員番号No.0007である。
趣味はサーフィンで、仕事の合間を縫って足繁く湘南に通っている。
『かざあなダウンタウン』では、当時住んでいた場所から、「方南町のスター」とレギュラー仲間から言われていたことがある。
東京銀座、大阪心斎橋でお好み焼き・鉄板焼き店『冨くら』、神奈川県藤沢市でたこ焼き店『海蔵』を経営・プロデュースしていたが、経営状態が芳しくなかったのか、現在はいずれも閉店。