ほら男爵の冒険
Munchhausen
監督ヨーゼフ・フォン・バーキ
『ほら男爵の冒険』(ほらだんしゃくのぼうけん、ドイツ語原題:Munchhausen, ミュンヒハウゼン)は、1943年公開のドイツ映画である。監督はヨーゼフ・フォン・バーキ(ドイツ語版)で、ジャンルとしてはファンタジー映画に属する。本作はドイツで3番目となる長編カラー映画であった。 作品は「ほら吹き男爵」ことヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼンの人生の物語である。部分的にゴットフリート・アウグスト・ビュルガー
ストーリー
ストーリーは舞踏会のシーンから始まる。過去の時代のように見えるが、ここで突如、電気のスイッチが映しされる。実は現代の仮装舞踏会だったのである。そして自動車が登場すると、はっきりと時代は1940年代(公開当時)と分かる。若い女性に言い寄られた男爵は、一計を案じ、彼女とその婚約者を明くる日のティータイムに招待する。翌日、男爵は2人を前に、かの有名な祖先「ほら吹き男爵」の「真の歴史」を語り始める。なお同席する男爵夫人は老婦人といった面持ちで、男爵に比べて明らかに年上である。こうして舞台は18世紀に移る。男爵は家来のクリスティアンをお供に、ブラウンシュヴァイク公の命により、ロシアのエカチェリーナ大帝の宮廷に赴き、陰謀と女帝とのアヴァンチュールの只中に身をおくのであった。
男爵は魔術師カリオストロに逮捕が間近に迫っていると警告すると、返礼に永遠の若さを手に入れた。ミュンヒハウゼンは、女帝から連隊司令官に任ぜられ、対トルコ戦争のオチャコフ(ドイツ語版)包囲戦に参じる。ここで驚異的俊足の持ち主を新たに家来に迎え入れる。要塞を狙う大砲にまたがるミュンヒハウゼンだったが、不意に発射されるとそこに姿はなく、空の彼方には砲弾に乗って飛んでいく男爵の姿があった。大爆発とともに要塞に到達したものの、トルコの捕虜にされてしまう。男爵はコンスタンティノープルに連れられ、スルタン直々の家来とされた。そこでクリスティアンと俊足の家来と再会し、おかげでスルタンとの賭けに勝つことができた。その賭けとは、1時間以内にウィーンのマリア・テレジアの宮廷からトカイワインを持ってくるというものであった。
こうして晴れて自由の身となったミュンヒハウゼンであったが、スルタンのもう一つの約束、囚われの身のエステ家の美しい公女イザベラの解放は反故にされた。そこで男爵はカリオストロから授かった魔法の指輪で透明人間となって、ハーレムから連れ出す。こうしてミュンヒハウゼンは、公女と2人の家来とともに海路ヴェネツィアへと向かう。当地では年老いたカサノヴァと面会する。しかしエステ家は公女を年上の男性と結婚させようとし、対立が深まる。公女の兄が決闘に立ったものの男爵のサーベルさばきで、あわれな下着姿にされてしまう。追っ手から逃れるようとミュンヒハウゼンとクリスティアンは熱気球に乗り込んだが、行き着いた先は「月」であった。シュールレアリスム的な月世界で2人が出会ったのは、月世界人の夫婦、また頭を胴体と切り離せる植物人であった。月世界の1日は、地球上の1年にあたため、クリスティアンは急に年をとり死んでしまう。地球に戻ったのは、永遠の若さを手に入れていた男爵だけであった。
物語は200年前から現在に戻る。ここで男爵は若いカップルに気付かせる。2人が前にするミュンヒハウゼンこそ、有名なほら吹き男爵の子孫ではなく、物語の主人公その人なのだ、と。2人はショックを受け、男爵邸を辞去した。しかし男爵は、永遠の若さに倦み疲れていた。これを自らの意志で返上すると、瞬く間に年老いていった。こうして、夫人とともに老境を楽しみたい、という願いはかなえられたのである。 この作品には多大な費用、豪華なキャスト、アグファ社の最新カラーフィルムが使用された。この映画は、UFA創立25周年記念作として、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス直々の指令で制作された。全編が1942年にポツダムのバーベルスベルクにあるUFA撮影所のスタジオと屋外セットで撮影された。制作費は約660万ライヒスマルク(当初予算は457万ライヒスマルク)であった。この映画は、第三帝国で最大の制作費が投じられた映画の一つである。ただし公開1か月後にして、11万9000ライヒスマルクの収益を上げている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} 創立記念に際し、また世界大戦の只中にあって、ドイツ人、また国外に対しても、輝かしく、冒険に満ちた[…]映画を発表することが目的とされ、帝国の政治状況も、戦争の恐怖も感じさせない。こうすることでナチス・ドイツの技術、芸術での功績をより一層の説得力をもって立証しようとしたのであった。
背景と特徴