ほてい屋
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長野県上田市にあった「ほていや百貨店」あるいは名古屋市にある呉服・宝石商の「ほていや」とは異なります。

ほてい屋[1]

織田一磨「ほていや六階から新宿三越遠望」 1930年
店舗概要
所在地東京市四谷区新宿三丁目7番地[1]
開業日1926年大正15年)10月1日[2]
延床面積2,225.85 m²[1]
最寄駅新宿駅
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ほてい屋(ほていや)は、東京市四谷区にあった呉服店・百貨店である[3]

1926年(大正15年)から1935年昭和10年)にかけて、当時の東京市四谷区新宿三丁目交差点の北西の角にあった百貨店の店舗は、遅れて西隣に店舗を構えた伊勢丹に買収されて消滅し、店舗は伊勢丹新宿店の一部に組み込まれた[4]
歴史・概要伊勢丹新宿店、2012年撮影。
新宿三丁目交差点に面した角から、南面(向かって左手)、東面とも、壁面から突き出た細長い看板のあたりまでが、旧ほてい屋の構造を残す部分。

神奈川県都築郡津田村出身の西條巳之助が牛込の戎商店での修行の後、1870年明治3年)に故郷で呉服商を開いたのが始まりである[3]

しかし、故郷では商圏が小さいことから1881年(明治14年)に東京に進出することとし[3][5]、「伊勢屋呉服店」を開いた[6]。ところが、翌1882年(明治15年)に火災で全焼して全財産を失って閉店した[3][5]

1884年(明治17年)に四谷伝馬町新1丁目10番地で呉服店を再開し[3]、東京の山手一帯へ外商活動を展開するなどして、徐々に営業規模を拡大して軌道に乗せた[6]

丸の中に福々しい布袋様が描かれた商標を用いていたことから、人々が伊勢屋ではなく「ほていや」と呼ぶようになったことから、屋号を「布袋屋」へ変更した[6]

なお、所在地は、1886年(明治19年)12月時点で既に四谷区麹町13丁目7番地とされ[7]1890年(明治23年)11月時点で四谷区?町13丁目6番地となっており[8]1894年(明治27年)時点では四ツ谷門外を北へ一丁・西へ二半行ったところであったとされている[9][注 1]

富山県上市町出身の青木竹次カが[10]、西條巳之助の三女と結婚し[11]1910年(明治43年)に娘婿・西條清兵衛となって家督を相続した[10][12][注 2]

養子として「布袋屋」の経営を引き継いだ西條清兵衛は[2]、新宿の将来性を見込んで同地で百貨店を開くことを決意し[2]1925年(大正14年)11月11日に竹中組(現・竹中工務店)の施工で鉄筋コンクリート造7階建ての建物を着工した[2]

1926年(大正15年)10月1日[2]新宿追分の「追分角」と呼ばれた新宿三丁目交差点の北西角の[13]新宿3丁目7番地に百貨店を開店し[1]1927年(昭和2年)12月20日に資本金100万円で「株式会社ほてい屋?服店」を設立して[14]法人化した[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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