ふるあめりかに袖はぬらさじ
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『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(ふるあめりかにそではぬらさじ)は、1970年婦人公論で発表された有吉佐和子による短篇「亀遊の死」を、有吉が自身で戯曲化したもの。幕末横浜が舞台の喜劇。初演は1972年の文学座公演、主演・お園は杉村春子が演じた[1]
目次

1 ストーリー

2 登場人物

3 舞台

4 脚注

5 関連項目

ストーリー

幕末の開港間もない横浜にある遊廓「岩亀楼」。病床にあった花魁の亀遊は恋仲の通訳・藤吉の励ましで快方に向かう。

ある日、薬問屋の大種屋に伴われ岩亀楼に来たアメリカ人イルウスが、大種屋の相手である亀遊を身請したいと言い出す。その交渉を通訳する藤吉は苦悩するが、結局イルウスが亀遊を身請することになる。しかし身請されることにより藤吉との恋が成就しないこと知った亀遊は自殺してしまった。

尊王攘夷派と開国派とが激しく争っていた当時、亀遊の死は異人に買われる事を嫌ったためと瓦版に書かれ、もてはやされた。読み書きできない亀遊の「露をだにいとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)ふるあめりかに袖はぬらさじ」という辞世まで捏造される。「攘夷女郎」のいた岩亀楼はその話を聞きつけた客で賑わい、亀遊の幼馴染みである芸者のお園は亀遊の自殺の真相を知りながらも「攘夷のヒロイン」の話を客に語る事になり、その話も次第に脚色が重ねられることになる。
登場人物

お園(芸者)

亀遊(お園の幼馴染、遊女)

藤吉(通訳、亀遊の恋人)

イルウス(アメリカ人)

大種屋(薬問屋の主人)

舞台

1972年、
文学座公演として初演[1]

2007年坂東玉三郎 (5代目)の手によって歌舞伎として上演[2]。その後、2012年に、玉三郎主演、亀遊役に檀れい石原舞子新派)を配して再演[1]

2011年に新派公演として上演。演出は成瀬芳一、主演は水谷八重子[3]

2017年に大地真央主演で明治座で公演予定。潤色・演出は原田諒宝塚歌劇団[4]

脚注^ a b c“坂東玉三郎・檀れい「ふるあめりかに袖はぬらさじ」”. シアターリーグ. (2012年4月17日). ⇒http://www.moon-light.ne.jp/news/2012/04/sodehanurasaji2012.html 2016年12月22日閲覧。 
^玉三郎 シネマ歌舞伎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を語る歌舞伎座
^ “ ⇒六月新派公演『ふるあめりかに袖はぬらさじ』”. 劇団新派. 2016年12月22日閲覧。
^“大地真央×原田諒が初タッグ、有吉佐和子の名作「ふるあめりかに袖はぬらさじ」”. ステージナタリー. (2016年12月26日). ⇒http://natalie.mu/stage/news/214697 2016年12月26日閲覧。 

関連項目

尊王攘夷

港崎遊郭

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更新日時:2017年7月24日(月)12:22
取得日時:2019/01/31 19:44


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