この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "ふじきイェイ!イェイ!"
ふじきイェイ!イェイ!
本名齋藤 稔(さいとう みのる)
生年月日 (1973-04-19) 1973年4月19日(51歳)
出身地 日本・滋賀県彦根市
血液型B型
身長166 cm
言語日本語
師匠藤井一男(元ちびっこギャング)
HANZO
芸風物真似 俳優 詩人 ボイストレーナー
事務所
アヴィラ東京演芸協会
活動時期2003年 -
現在の代表番組ものまねグランプリ
博士と助手?細かすぎて伝わらないモノマネ選手権?
テンプレートを表示
ふじきイェイ!イェイ!(1973年4月19日 - )は、日本のお笑い芸人。ピン芸人、ものまねタレント、俳優として活動。本名、齋藤 稔(さいとう みのる)。滋賀県彦根市出身。 中学校の頃に友人とC-C-Bや聖飢魔IIのコピーバンドなどで活動を開始。1988年、中学二年生の時に学校を休んでびわ湖放送「おしゃべりTOWAY」(司会 島よしのり)に出演。当時のバンド名は「アルジェ」。オリジナルバンドで「アトラスみのる」と名乗っていた。勝ち抜き形式の番組で三週勝ち抜いて大学生バンドに負けた[1]。10代後半から22-23歳頃は、ヴィジュアル系ロックバンドのメンバーだったときがあった。上京した1993年頃、歌手のHANZOと出会い歌を指導される。この頃、元FIELD OF VIEWの浅岡雄也と出会い、今でも親交がある[2]。バンド活動を辞めた2000年頃に、元ちびっこギャングの藤井一男に出会い、弟子入りするような形で藤井の下で演技を学ぶ。ハイテンション芸は、このとき身につける。藤井のもとを離れる。 2003年そっくり館キサラのオーディションに合格。芸名を「ふじきみのる」とする。この名前は、最初“師匠”だった藤井の名をとって「ふじいみのる」にしようとしたということであったが、過去の経緯から気が引けたこともあって「ふじき」と一字変えたとしている。その後諸事情から一時休止した期間を経て、「ふじきみつぐ」に改名。この名前は、当時のオフィスインディーズ社長が「お前は女に貢いでいるイメージがする」と思ったことに由来するとしている[3]。そっくり館キサラや、土浦歌芸夢者(かげむしゃ)などのショーパブでものまねを磨いていく。ものまねタレントゆうぞうと、コンマツーというものまねコンビをやっていたが一年で解散。同年、グッチ裕三と対面を果たしものまねの指導を受ける。 2005年9月13日に『第1回エアギター&バンド大会』に出場し、優勝[4]。2008年から芸名を「ふじきイェイ!イェイ!」に改める。これは「ふじきみつぐ」時代から決め台詞のように使っていたギャグをそのまま芸名にしたものでもある。2008年、TBSあらびき団で浜田雅功のものまねを本人の前でやり、「ええ根性してるね」と浜田に言われる(下述)[5]。同年、オスカープロモーションに移籍。2010年頃から『B'z軍団』に加入。2012年、日本テレビものまねグランプリにものまねビジーフォーで出演しグッチ裕三のものまねを披露。同年、B'z軍団を卒業する。 2015年からアヴィラ所属。 2020年よりエンタテインメントグループJADE☆BOX 『日曜×芸人』(テレビ朝日)にTUBEのものまねで出演した際、若林正恭(オードリー)に「チューブというよりインスタントジョンソンゆうぞうさんじゃねぇーか!」と言われ急遽、チューブものまねにゆうぞうを無理やり導入した[6]。 『ギュッとまとめました』(日本テレビ)にて松木安太郎のものまねをしたところ、ご本人に「全然似てない」と言われた[7]。 フジテレビとんねるずのみなさんのおかげでしたの人気コーナー博士と助手?細かすぎて伝わらないモノマネ選手権?では「悲しい曲も陽気に歌ってしまうグッチ裕三」で出演。グッチ裕三コンサートでグッチ本人と再会した際、グッチ本人からものまねのマイクさばきを教わったことがある。また、グッチの行っていたものまねネタも多数コピーしている。 主に物真似で活動。『そっくり館キサラ』に出始めたばかりの頃は、ジェームス・ブラウン、タイガー・ウッズ、田原俊彦の3ネタを使いまわしてばかりだったが[5]、その後徐々にレパートリーを増やし、グッチ裕三、松木安太郎、浜田雅功、伊藤淳史、加藤茶、宮川大輔、竹中直人、西田敏行、前田吟、緒方賢一(忍者ハットリくん獅子丸の声優)、マイケル・ジャクソン、氷川きよし、B'z、TUBE、吉幾三、細川たかし、スキャットマン・ジョン、メバル(魚)など約100のレパートリーを持つ。
来歴
エピソード
芸風