ひろしま
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この項目では、映画について説明しています。その他の用法については「広島」をご覧ください。

ひろしま

監督関川秀雄
脚本八木保太郎
製作菊地武雄、伊藤武郎
出演者岡田英次月丘夢路加藤嘉
音楽伊福部昭
撮影中尾駿一郎、浦島進
編集河野秋和
配給北星映画
公開 1953年10月7日
上映時間104分
製作国 日本
言語日本語
製作費2400万円
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『ひろしま』は、日教組プロ制作、関川秀雄監督による1953年昭和28年)公開の日本映画である。太平洋戦争末期の広島市への原子爆弾投下で被爆した子供たちの手記集『原爆の子?広島の少年少女のうったえ』を原作としている[1]

1955年(昭和30年)に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した[2][3]
概要米原先生(月丘夢路)と生徒ら被爆した市民

長田新が編纂した『原爆の子?広島の少年少女のうったえ』(岩波書店1951年〈昭和26年〉)を八木保太郎が脚色した。同じ原作を元にした作品として新藤兼人監督・脚本の『原爆の子』がある。当初、日教組と新藤の協力で映画制作が検討されたが、新藤の脚本は原作をドラマ風にかきかえてしまっていて原爆の真実の姿が伝わらないという理由で、日教組が反発。結局両者は決裂し、別々に映画を制作した[4]

日教組に参加する広島県教職員組合と広島市民の全面的協力の下で制作された。原爆投下を直接経験した者も少なくない広島市の中学・高校生、教職員、一般市民等約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加し、逃げまどう被爆者の群集シーンに迫力を醸し出している。また、広島市役所日本労働組合総評議会(総評)とその県組織の広島県労働組合会議(広島県労会議)、原爆の子友の会、原爆被害者の会の他に、地元企業である広島電鉄藤田組(現・フジタ)も協力した。映画に必要な戦時中の服装や防毒マスク鉄カブト等は、広島県下の各市町村の住民から約4,000点が寄せられた。原爆投下前後の広島の再現のために現地での撮影場所は、広島市内外で24ヶ所、シークエンスは168[5]に達した。

監督の関川秀雄は映画制作の7年前に広島に原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に精力を注ぎ、百数カットに及ぶ撮影を費やして、克明に阿鼻叫喚の原爆被災現場における救援所や太田川の惨状などの修羅場を再現した。そして被爆者たちのその後の苦しみを描いた。

スタッフには、安恵重遠のような録音のベテランがおり、その後、独立プロ、教育記録映画を支える小松浩、河野秋和が撮影や編集を担当。美術を後に『砂の女』を担当する平川透徹、セットデザイン怪獣映画の造形で知られるようになる高山良策が担当している。関川監督をその後脚本家として活躍する小林太平が補佐し、信州大学文理学部を卒業したばかりの熊井啓助監督の一人としてついた。
内容

広島市のある高校の1クラスで白血病により女子生徒みち子が倒れる。戦後広島にやってきた担任の北川は、生徒たちと原爆症について話し合う。原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日、女教師・米原が生徒たちと被爆し、焦土と化した広島をさまよい、力尽きるまでが回想される。北川は今まで原爆のことを知ろうとしなかったことを謝罪すると、生徒からは原爆のことを世界の人に知ってほしいとの声があがる。病床のみち子は『軍艦マーチ』が鳴り響く原爆投下前の広島を想起する。
出演者米原先生役の月丘夢路大庭みね役の山田五十鈴山田五十鈴

○数字はクレジット順。

北川先生:岡田英次B
被爆7年後の現在(当時)パートで登場。みち子たちの通う高校の英語教師で、映画全体の狂言回しとも言うべき人物。戦後広島に赴任してきたため原爆のことはほとんど知らない。冒頭のシーンで授業中、生徒たちに『0の暁』を朗読するラジオ番組を聴かせる。

大庭みち子:町田いさ子
大庭みねの娘。原爆で家族全員を失う。冒頭シーンで授業中、北川先生が流してくれたラジオ番組を聴いているうちに気分が悪くなり、鼻血を出して入院し白血病と診断される。級友たちが見舞ってくれた病室で被爆当時のことを回想する。

大庭みね:山田五十鈴A
町子・みち子姉妹と明男の母。自宅で被爆し、爆風で崩れた家から必死で這い出す。重傷を負いながらもみち子と明男を連れて救護所へ避難するが、次第に原爆症の症状を現して衰弱しみち子の前で絶命する。

遠藤秀雄:加藤嘉C
一郎・幸夫・洋子兄妹の父。自宅で被爆し重傷を負う。爆風で崩壊した自宅から脱出するが、妻・よし子を救出することが出来なかった。建物疎開に動員されていた一郎を捜し求める。救護所で一郎と無言の対面を果たした後は次第に衰弱していき、疎開先から幸夫と洋子が帰ってくるのを待ちわびていたが…。

遠藤よし子:河原崎しづ江F
秀雄の妻で一郎、幸夫、洋子の母。爆風で倒れてきた梁に挟まれて動けなくなる。炎が迫るなか必死で救助しようとする秀雄に、子どものことを頼むと言い残して焼死する。

米原先生:月丘夢路D
町子の通う女学校の教師、8月6日当日、生徒を引率し市内の建物疎開作業にあたっていた時に被爆する。生き残った生徒たちを安全な場所に避難させようとして川に入るが、流れにまかれて生徒とともに力尽きる。

千田先生:神田隆I
8月6日当日、建物疎開活動をしていた中学生たちの引率教師。被爆で重傷を負いながらも傷ついた生徒たちを気遣っている。

大庭町子:松山りえ子
みち子の姉。学徒動員での建物疎開中で被爆して重傷を負い、猛火を避けて級友たちとともに川へと避難するが流れのなかで力尽きる。

大庭明男:南雅雄
町子・みち子の幼い弟。被爆により重い火傷を負い、避難中に母・みねの背中で息絶える。

遠藤幸夫:月田昌也J
秀雄・よし子の子で、現代パートのもう一人の主人公とも言うべき人物。疎開先から帰ってきた後、原爆で母・兄を失ったことを知り、救護所で瀕死の父を看取り、妹ともはぐれて天涯孤独の身になる。その後、他の戦災孤児とともに浮浪生活を送ったのち似島の児童養護施設に入所。おじに引き取られて高校に入学するも、やがて退学し、キャバレーでのアルバイトやパチンコで稼ぐなど荒んだ生活を送っていた。原爆で足が不自由になった従姉妹に諭され、工場に就職して更生したかのように見えていたが…。

遠藤洋子:亘征子
幸夫の妹。兄とともに疎開先から自宅の焼け跡に戻ってくる。兄に連れられてきた救護所で瀕死の父と再会するが、変わり果てた父の姿にショックを受けてその場を立ち去り、行方不明になる。

仁科芳雄博士:薄田研二L
軍の要請により被爆後の広島の調査に派遣された科学者護国神社の焼け跡での会議で、この惨状が米軍の原子爆弾投下によるものと判定する。

科学者:信欣三O
仁科博士ら科学者と軍幹部との会議に同席。原爆投下と判明したこの期に及んでもなお「聖戦完遂」を強く主張する軍の幹部に呆れ、苦々しい表情を見せる。

医者:三島雅夫M
被爆した女性を診察した際に、無傷のように見える患者が脱毛症状を現し、次第に衰弱していくことを指摘する。

男:梅津栄
原爆投下直後に錯乱し、旗を振って「大日本帝国万歳!」と叫び走り回る。

幸夫のおじ:花沢徳衛N
児童養護施設で暮らしていた幸夫を引き取る。

河野誠:佐脇一光S
現代パートでみち子や幸夫たちの級友。


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