ひまわり
I Girasoli
Sunflower
Подсолнухи
ソフィア・ローレン
監督ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本チェーザレ・ザヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギー・ムディヴァニ
『ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )は、1970年のイタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国のドラマ映画。ヴィットリオ・デ・シーカ監督。出演はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワほか。
戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、地平線にまで及ぶ画面一面のヒマワリ畑が評判となった。数あるローレン主演の映画の中で最も日本で愛されている作品である[要出典]。
1964年のイタリア・ソ連合作の戦争映画『イタリアの勇士たちよ(ロシア語版、イタリア語版、英語版)』[注釈 1][注釈 2]に引き続き、冷戦時代に西側スタッフがソ連ロケを認められた作品である。『イタリアの勇士たちよ』も、第二次世界大戦の東部戦線でのイタリア旅団の悲劇を扱い[注釈 3]、戦時資料とイタリア人帰還兵・戦没兵の手記を元に脚本が書かれた[2]。ソ連のひまわり畑、酷寒の雪中での兵士の脱落など、主要モチーフは『ひまわり』と驚くほど似通っており、主要ロケ地も同じチェルネーチー・ヤール(ロシア語版、ウクライナ語版)村である。が、前者は興行成績・注目度共に地味な作品であったため(特に日本では殆ど知られていない)、今日でも「『ひまわり』は冷戦時代初の西側のソ連ロケ作品」と誤報[3]されることが少なくない。同一テーマを、西側人気女優を主役に起用して大悲恋物語に仕立て直したものが『ひまわり』との見方も成り立つ。
作品の構想と準備に10年の歳月を要したというデ・シーカ監督は、夫を探して異郷への長い旅に出る主人公を、現代のユリシーズになぞらえる[4]。西側の企画をソ連に持ち込んだ例は当時の映画界では異色だが、製作総指揮のジョセフ・E・レヴィーンと製作のカルロ・ポンティは度々モスクワに赴きソ連側を説得、撮影を実現させた[4]。
ロケ地となったひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州にあるとされていた[5][注釈 4]が、NHKの現地取材では、ポルタヴァ州(ウクライナ中部・ドニエプル川左岸)の州都ポルタヴァの約27km北に位置するチェルネーチー・ヤール(ロシア語版、ウクライナ語版)(Чернечий Яр)村[注釈 5][注釈 6]で行われたと特定されている[3]。
音楽はヘンリー・マンシーニが担当、数多くの映画音楽を手がけた中でも特に評価が高い作品で、主題曲は世界中でヒットした。
日本での初公開は1970年9月30日。2020年には「ひまわり 50周年HDレストア版」として上映され、修復作業は上映会を企画した日本の企業「アンプラグド」によって行われた[注釈 7]。2022年には、ロケ地であるウクライナへのロシアの侵攻を受け、映画館や地方自治体によるチャリティー上映会が日本各地で開催された[7][注釈 8][注釈 9]。 第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。 戦時中、洋裁で生計を立てる陽気なナポリ娘ジョバンナとアフリカ戦線行きを控えた兵士アントニオは海岸で出会い、すぐに恋に落ちる。12日間の結婚休暇[注釈 10]を目当てに結婚式を挙げた2人は、幸せな新婚の日々を過ごす[注釈 11]が、休暇の12日間は瞬く間に過ぎてしまう。精神疾患による除隊を目論んだアントニオは首尾よく精神病院に入院するが、あえなく詐病が露見、懲罰のためソ連戦線へと送られることになる。
ストーリー