ひばりが丘団地
[Wikipedia|▼Menu]
2014年2月撮影

ひばりが丘団地(ひばりがおかだんち)は、東京都多摩地域に立地する公団住宅団地1959年昭和34年)に日本住宅公団都市再生機構=URの前身)が中島航空金属田無製造所の跡地に造成した[1]。造成当時は日本住宅公団最大の住宅団地であり、「マンモス団地」の嚆矢である。

1999年(平成11年)から2012年(平成24年)にかけ、大規模な再生事業が行われ、中層マンション、戸建て住宅、公共施設が複合した住宅地区へと建て替えられた[1]
沿革

1959年昭和34年)、当時の北多摩郡保谷町・田無町(のちの保谷市田無市→合併し西東京市)・久留米町(のちの東久留米市)の3町にまたがる区域に造成された。総敷地面積は34ヘクタールにわたり、建設前には多くが雑木林であった[2]。団地の名称は周辺に麦畑が多くヒバリが多く生息していたことから当時の田無町長により命名された[2]

この地にそれまで所在した中島航空金属田無製造所は旧中島飛行機の関連会社で、資産や人材の一部は住友重機械工業田無製造所へ移行している。東久留米駅からは貨物線が引き込まれていたが、戦後になって京王帝都電鉄井の頭線の延伸を狙ってこの貨物線を買収するも西武鉄道の反発などもあり計画は頓挫している(貨物線跡は遊歩道「たての緑道」となっている)[2]

団地敷地内に野球場・テニスコート・市役所出張所・緑地公園・名店街・学校・スーパーマーケットなどを擁した当団地の街づくりは、のちに各地で建設されることとなる公団住宅の手本となった。

竣工当時の諸元

住棟構成 - 180棟・2714戸[1]

中層フラット棟 - 92棟(北・南廊下型)

テラスハウス - 83棟

スターハウス(4階建て) - 4棟

店舗棟 - 1棟


住所

東京都西東京市ひばりが丘三丁目

(合併前)保谷市ひばりが丘三丁目 および 田無市ひばりが丘団地 → 田無市ひばりが丘三丁目


東京都東久留米市ひばりが丘団地


1960年(昭和35年)の皇太子・皇太子妃(現在の上皇上皇后)の視察をはじめとして[2]多数の要人が視察に訪れ、その様子は当時のニュースで配信された。また、1960年には当団地を舞台に団地での生活を紹介した「団地への招待」という映像も制作されている[2]団地再生事業中の状況(2014年8月)。手前は住棟跡地

1999年(平成11年)以降、住棟の老朽化や住民のニーズの変化が進んだために、URは住棟の建て替えを含む「再生事業」に着手。大部分は1,259戸の集合賃貸住宅棟「ひばりが丘パークヒルズ」へ建て替わったほか、一部区域は「ひばりが丘団地再生事業区域」に定められ、民間主導による分譲住宅地やマンションに転用された[3][2]

古い住棟の一部は文化財として保存されている。また、一部の建物は建築学上の研究などのために用いられた(後述)。
建物等の保存・転用など

2008年(平成20年)、使われなくなった1列4階建ての住棟を3階建てに減築する実験が行われた。

旧住棟は保全を兼ね、公共施設などに転用されている。

4階建てフラットの94号棟は
サービス付き高齢者向け住宅に改装された[4][2]

2階建てテラスハウスの118号棟は、地域交流施設「ひばりテラス118」に改装された[1][5][2]

竣工当時4棟あったスターハウスのうち53号棟が改修・保存されており、その1階部分が「ひばりが丘パークヒルズ管理サービス事務所」として利用されている。53号棟前には上述の皇太子・皇太子妃が視察した部屋(74号棟208号室)のベランダ部分が、切り取られて保存されている[2]

東京都江戸東京博物館では、2015年の常設展示リニューアルの際に、1962年(昭和37年)頃のひばりが丘団地の室内の様子を実物大模型で再現した展示を新設した[6][7]

保存された53号棟(スターハウス)

保存された74号棟208号室のベランダ

団地室内の復元模型(東京都江戸東京博物館

交通

西武池袋線 ひばりヶ丘駅から南西に1.5km。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef