ひのきしんじ
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出典検索?: "ひのきしんじ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年11月)

ひのき しんじ(檜晋樹、桧晋樹、1945年1月2日 - )は、日本音楽プロデューサー、元歌手東京都出身。妻は元女優、歌手の本間千代子
経歴幼少時、劇団若草に入団し、子役として活動。映画「しいのみ学園」などに出演。1958年開始のテレビドラマ「怪人二十面相」(日本テレビ系)に小林少年役として出演、人気を博す。後に、唄うテレビスターと持て囃され、1962年、檜晋樹の名でキングレコードより歌手デビュー。1965年までに十数枚のシングル盤をリリースするが、うまくいかず、学生生活に戻る。その後、今までの経験を生かし音楽ディレクター&パーソナリティに。芸名を平仮名・ひのきしんじに変更。1973年頃四人囃子のディレクションを担当。1974年8月25日、自らの歌唱とプロデュースによるシングル「僕から」がヒット。1976年本間千代子と結婚。その後、五木ひろし長良川艶歌」「居酒屋」「契り」等で日本レコード大賞日本歌謡大賞日本作詩大賞等を受賞。石川さゆり研ナオコ前川清山本譲二オユンナをプロデュース。2016年以降、中丸三千繪雨谷麻世黒川泰子をプロデュース。2018年11月現在、エフエム東京MUSICBIRD」内包「おはようサタデー」のラジオパーソナリティとして16年目を迎えた。妻の本間は既に歌手・女優としては引退も、「おはようサタデー」で共演。
家族・親族

冨田勲 - 義兄

レコード(歌手時代、一部)

「星に呼んだよ」/「ユーウツなんだ」(1962年5月)

「カッコいい娘」/「お姉さんと呼んだ人」(1962年7月)

「泣きたくなったら」/「黒い夜霧」(1962年8月)

「美少年」/「あの娘が住んでる街へ」(1962年9月)

「若い旅愁」/「銀座テキサス」(1962年10月)

「小っちゃなレディ」/「あの娘は星になっちゃった」(1962年11月)

「旅人」/「いつもの街角」(1962年12月)

「君嫁ぐ日ちかく」/「ねむの木の下で」(1963年2月)

「小太郎笠」/「若武者出陣」(1963年6月)

「丘の校舎」/「若いぼくら」(1964年2月)

「赤いスポーツカー」/「思い出の橋」(1964年5月)

「ビルと涙と青空と」/「ひとつのリンゴ」(1964年6月)

「ハモニカ列車」/「ヨットで旅に出よう」(1964年8月)

「君にさよなら」/「泣かせちゃいやだ」(1965年10月)

「僕から」/「ふたりのさざ波」(1974年8月25日)

アルバム

僕から オクターブ+1(プラスワン) 1975年3月25日発売

この度の手土産に作詞・作曲:
小椋佳/編曲:深町純

おもかげ作詞:深沢径/作曲:白鳥英美子/編曲:竜崎孝路

猫作詞・作曲:及川恒平/編曲:原茂

あなたの故里(あなたのふるさと)作詞:岡田冨美子/作曲・編曲:竜崎孝路

むらさき水晶作詞・作曲:りりィ/編曲:深町純

僕から作詞:岡田冨美子/作曲・編曲:竜崎孝路

何処から何処へ何の為に作詞・作曲:小椋佳/編曲:深町純

母の絵作詞・作曲:及川恒平/編曲:原茂

ふたりのさざ波作詞:岡田冨美子/作曲・編曲:竜崎孝路

あなたの手紙は白い紙吹雪作詞・作曲:白鳥英美子/編曲:深町純

夢のような作詞・作曲:下田逸郎/編曲:深町純




アルバムの明細の出典はアナログレコード付属の歌詞カード。


出演番組
アール・エフ・ラジオ日本


歌の目覚まし?夫婦でおはよう?


ミュージックバード


おはようサタデー 思いのままにミュージックサンキュー”(土曜日7:00?8:55) 本間千代子と共演。


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