ひがし北海道クレインズ
原語表記ひがし北海道クレインズ
愛称クレインズ
クラブカラー緑、赤
創設年1949年
本拠地 日本
北海道釧路市
ホームリンク
釧路アイスアリーナ
代表者田中茂樹[1]
公式サイト公式サイト
ひがし北海道クレインズ(ひがしほっかいどうクレインズ)は、日本のアイスホッケーチーム。本拠地は北海道釧路市で、ホームスタジアムは釧路アイスアリーナ。
創設は1949年に十條製紙釧路工場の実業団チームとして発足した十條製紙アイスホッケー部であり、2019年に完全クラブチーム化を果たした。
歴史
創部期
1949年 - 「十條製紙釧路アイスホッケー部」として創部。
1974年 - 日本アイスホッケーリーグに加盟。初参戦となった第9回日本アイスホッケーリーグは6チーム中5位となる。
1975年 - 十條アイススケートセンター開業。ホームアリーナとなった。
1983年 - 釧路市春採アイスアリーナとの併用となった。
1989年 - 参戦16年目となった第24回日本アイスホッケーリーグで初めてAクラス(3位)に入る。
1990年 - 全日本アイスホッケー選手権大会で初の決勝進出を果たすも、決勝で国土計画(のちのコクド)に敗れ準優勝となる。
日本製紙クレインズ時代
1993年 - 十條製紙と山陽国策パルプとの合併で、社名が日本製紙に変更になった事に伴い「日本製紙クレインズ」にチーム名を変更。
1997年 - 釧路アリーナがホームアリーナとして釧路開催では単独開催となる。
1999年 - 第33回日本アイスホッケーリーグのレギュラーリーグで4位となり、初のプレーオフ進出を果たすも、セミファイナルで同1位のコクドに敗れ4位に終わる。
2002年 - 第36回日本アイスホッケーリーグのレギュラーリーグで初の1位を獲得するも、プレーオフセミファイナルで同4位のコクドに敗れ3位に終わる。
2004年
アジアリーグアイスホッケー誕生。初代チャンピオンとなる。
全日本アイスホッケー選手権大会、コクドに敗れ準優勝。
2005年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子製紙に敗れ準優勝。
アジアリーグアイスホッケー、リーグ1位通過もプレーオフでコクドに敗れ準優勝。
2006年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子製紙を破り初優勝。
アジアリーグアイスホッケー、再びリーグ1位通過もプレーオフでコクドに敗れ準優勝。
2007年
全日本アイスホッケー選手権大会、SEIBUを破り連覇。
アジアリーグアイスホッケー、3度目のリーグ1位通過し、プレーオフで初めてSEIBUを破り優勝。
2008年
全日本アイスホッケー選手権大会、SEIBUに敗れ準優勝。
アジアリーグアイスホッケー、リーグ4位通過もプレーオフファイナル進出。しかし王子製紙に敗れ準優勝。
2009年
全日本アイスホッケー選手権大会、SEIBUに敗れ準優勝。
アジアリーグアイスホッケー、リーグ4位通過ながらプレーオフファイナル進出。SEIBUを4勝3敗で下し、3度目のアジア制覇
2010年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子イーグルスを破り3年ぶり3度目の優勝を飾った。
アジアリーグアイスホッケー、リーグ3位通過ながらプレーオフファイナル進出。しかしアニャンハルラに2勝3敗で敗れ準優勝。
2011年
全日本アイスホッケー選手権大会、東北フリーブレイズを破り2年連続4度目の優勝を飾った。
アジアリーグアイスホッケー、レギュラーリーグ2位通過。プレーオフセミファイナルで東北フリーブレイズと対戦するも、2勝3敗で敗れファイナル進出ならず。アジアリーグ参戦以来チームワーストの4位となった。
2012年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子イーグルスを破り3年連続5度目の優勝を飾った。
アジアリーグアイスホッケー、レギュラーリーグ4位通過。プレーオフセミファイナルで王子イーグルスと対戦するも敗退。ファイナル進出ならず。
12月開催に変わった全日本アイスホッケー選手権大会、王子イーグルスに敗れ準優勝。
2013年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子イーグルスを2年連続破り6度目の優勝。
2014年
アジアリーグアイスホッケー、レギュラーリーグ2位通過。プレーオフファイナルで王子イーグルスを3勝1敗で下し、4度目のアジア制覇
2015年
全日本アイスホッケー選手権大会、王子イーグルスを破り2年ぶり7度目の優勝を飾った。
2018年
12月19日に廃部が決定されたことが公表された[2]。
2019年
アジアリーグアイスホッケー2018-2019シーズンをレギュラーリーグ4位で終了
プレーオフではファーストラウンド王子イーグルス戦を初戦落としたものの、連勝でセミファイナルへ
セミファイナルではレギュラーリーグ1位のデミョンキラーホエールズを相手にホーム釧路で初戦は延長第3ピリオドまでもつれるアジアリーグ最長記録となる試合を制し、その勢いを勝って翌日も勝利。そのままアウェー仁川に乗り込み、そこでも勝利しスイープでファイナルへ進出する。
ファイナルではPSKサハリンを相手に善戦はしたものの、ホーム釧路で連敗、第3戦ユジノサハリンスクでも第3ピリオドまで0-3とリードする展開から追いつかれ延長戦の末敗退。最後のシーズンは準優勝で終わった。
日本製紙クレインズとしての活動は終了するがチーム全体の引受先を札幌市の企業が名乗り出ていることが明らかになっている[3]。
ひがし北海道クレインズ時代
2019年
3月31日に、札幌市のスポーツ用具輸入販売会社であるマハロスポーツの茅森健一により、クレインズ受け入れ先チームの運営会社として、東北海道アイスホッケークラブ合同会社設立の記者会見が行われる[4]。茅森健一はコクドアイスホッケーチームや王子イーグルスなどでもプレーをした茅森康二の兄である[5]。
4月24日、アジアリーグ公式サイトにおいて、東北海道クレインズのリーグ加盟が内定したことが発表される[6]。
5月18日、公式アナウンスがあり、以下の変更が発表された[7]。
チームの株式会社化に依る組織化と、経営を見据えた中で、代表社員を茅森健一から田中茂樹に変更する。茅森健一は経営企画担当として引き続き運営に携わる。
チーム名称を「ひがし北海道クレインズ」に変更する。変更の目的は「ひがし北海道ブランド化推進協議会」との連携に伴い、国内外で「ひがし北海道」のブランド化推進に協力するため。
合同会社の登記変更
商号を「ひがし北海道クレインズ合同会社」に変更
所在地を「釧路市内」に変更
会社代表を「田中茂樹」に変更
法人格を株式会社に変更
釧路の行政、経済、観光、スポーツの有識者並びに公的団体の代表者からなる「ひがし北海道クレインズ」評議会を発足し、評議会を通じたチームの地域における公的な役割と、地域活性化への社会貢献を目指す。
アジアリーグアイスホッケー2019-2020シーズンをレギュラーリーグ5位で終了。プレーオフ進出を逃す。
ラトビアから、アルディス・ギルゲンソンス監督を招く。
2020年
12月1日、運営が株式会社化[8]。
全日本選手権初制覇。
2021年全日本選手権2連覇
2022年
シーズンオフに監督、中心選手の退団が続くも新人選手と積極的に契約し、日本人選手のみの編成でプロ化後の第2フェーズに入る。
2023年
3月2日、公式マスコットキャラクターの名前が決定した[9]。
5月2日、所属する全選手、監督が給与遅配の継続を受け、来季以降チームとの契約をしない意向を表明。同日、齊藤毅監督が現チームのアジアリーグ除名と、全選手が移籍し釧路市を拠点とする新チーム「北海道ワイルズ」を発足し、アジアリーグ参入の嘆願書を釧路アイスホッケー連盟へ提出した[10][11]。また、2022年3月期決算で1億8100万円の債務超過に陥っていたことなども受けて、所属していた選手などが釧路地方裁判所に破産の申し立てを行ったが、6月22日に「債権は弁済によって消滅した」として退けられている[12]。