ばいかる丸
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ばいかる丸→極星丸[1]
就役間もないばいかる丸(1926年)
基本情報
船種貨客船(1921年-1937年、1939年-1942年)
病院船(1937年-1939年、1942年-1945年)
練習船(1945年頃)
捕鯨母船(1949年-1955年)
冷凍工船(1955年-1968年)
船籍 大日本帝国
日本
所有者大阪商船(現・商船三井、1921年-1939年)
東亜海運(現・東京湾フェリー、1939年-1950年)
極洋捕鯨(現・極洋、1949年-1968年)[1]
運用者 大阪商船(1921年-1939年)
東亜海運(1939年-1941年)
 大日本帝国陸軍(1941年-1945年)
極洋捕鯨(1949年-1968年)
建造所三菱重工業神戸造船所(船体)
三菱重工業長崎造船所(主機搭載、艤装)[1]
母港大阪港/大阪府東京港/東京都[1]
姉妹船なし
船級逓信省第一級船
LR100A1[1]
信号符字SGKJ→JBPA[1]
IMO番号28078[1]
改名ばいかる丸(1921年-1949年)→極星丸(1949年-1968年)[1]
経歴
起工1920年(大正9年)12月1日[1]
進水1921年(大正10年)5月10日[1]
竣工1921年(大正10年)9月15日[1]
就航1921年(大正10年)10月1日
引退1967年(昭和42年)10月20日[2]
最後1968年(昭和43年)解体[1][3]
要目
総トン数5,266.17トン[1]または5,243トン[3](1921年-1949年)
5,266.00トン[4]または5,000トン[5]
4,744t[6]
純トン数3,096.0トン[1]
載貨重量4,937トン[1]
排水量9,026.0トン(満載)[1]
長さ121.9m[7]
垂線間長121.92m[1]
幅15m[3]
型幅15.24m[1]
型深さ9.14m[1]
高さ28.35m(水面からマスト最上端まで)
10.67m(水面から船橋最上端まで)
16.15m(水面から煙突最上端まで)
満載喫水6.94m[1]
ボイラー石炭専燃缶(1921年-1949年)
主機関パーソンズ二段減速蒸気タービン 2基(1921年-1949年)[1]
艦本式22号10型ディーゼル機関 2基(1949年-)
推進器2軸[1]
最大出力5,500SHP(計画)[1][3]
6,189PS(連続、1921年-1949年)[1]
3,600HP(1949年-)[6]
最大速力17.283ノット(試運転時)[1]
17.3ノット[3]
航海速力13.0ノット(満載)[1]
旅客定員いずれも1921年-1941年
一等:92名[1][3]
二等:140名[1][3]
三等:548名[3]または568名[1]
乗組員127名(1921年-1941年)[1]
1937年7月徴用。
高さは米海軍識別表[8]より(フィート表記)
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ばいかる丸(ばいかるまる、Baikal Maru[3][7])は、日本商船

1921年大正10年)大連航路の貨客船として建造されたが、病院船として徴傭され、第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争)中に被雷座礁した。戦後は係留したまま練習船として用いられたが、大改装され捕鯨船(捕鯨母船)として運用された上、冷凍工船に再改装されて極星丸(きょくせいまる)に改名後、1968年昭和43年)に解体された。
船歴
大連航路・座礁事故

ばいかる丸ははるびん丸に続く大阪港-神戸港-門司港-大連港間の大連航路用として大阪商船(現・商船三井)が発注した貨客船で、設計は英国商務院規定に基づき、支水隔壁や船底全面の二重底を採用した。電気溶接が採用され湾曲部竜骨は全面溶接で作られた[1]。さらに、大阪商船の貨客船で初めて主機に蒸気タービン機関が採用され[3]ボイラーに江崎式スーパーヒーターが搭載された[1]。こうした経緯から、船体は三菱重工業神戸造船所で建造され、 1920年(大正9年)12月1日に起工。1921年(大正10年)5月10日の進水後に主機設置や艤装を三菱重工業長崎造船所で行うという、変則的な建造方法が採られた[1][3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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