はるな_(護衛艦)
[Wikipedia|▼Menu]

はるな
RIMPAC2008参加のため、パールハーバーに入港する「はるな」
基本情報
建造所三菱重工業長崎造船所
運用者 海上自衛隊
艦種ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
級名はるな型
艦歴
発注1968年
起工1970年3月19日
進水1972年2月1日
就役1973年2月22日
除籍2009年3月18日
その後2009年10月 江田島に所在する解体業者に回航、2010年1月解体終了。
要目
基準排水量4,950トン
満載排水量6,850トン
全長153m
最大幅17.5m
深さ11.0m
吃水5.2m
ボイラー三菱CE2 2胴水管型缶 × 2基
主機三菱2胴衝動型蒸気タービン × 2基
出力70,000PS
推進器スクリュープロペラ × 2軸
最大速力31ノット以上
乗員370名
兵装73式54口径5インチ単装速射砲 × 2門
74式アスロック8連装発射機 × 1基
高性能20mm機関砲(CIWS) × 2基(FRAMにより装備)
GMLS-3型A シースパロー短SAM 8連装発射機 × 1基(FRAMにより装備)
68式3連装短魚雷発射管 × 2基
搭載機HSS-2B/SH-60J × 3機
FCS72式射撃指揮装置1型A
81式射撃指揮装置2型-12(FRAMにより装備)
SFCS-4 水中攻撃指揮装置
C4ISTAROYQ-7B-2(FRAMにより装備)
レーダーOPS-11C 対空
OPS-17 対水上
OPS-28(FRAM時換装)
OPS-20 航海用(後日装備)
ソナー66式探信儀 OQS-3
電子戦
対抗手段NOLR-5NOLQ-1-3 ESM/ECM (FRAM時換装)
OLR-9B ESM(FRAMにより装備)
Mk.137 デコイ発射機 × 4基(FRAMにより装備)
テンプレートを表示

はるな(ローマ字:JS Haruna, DDH-141)は、海上自衛隊護衛艦はるな型護衛艦の1番艦。艦名は榛名山に因み、旧海軍金剛型戦艦榛名」に続き日本の艦艇としては2代目。
概要

本艦は日本初のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)であり、5000tクラスながらヘリコプターを3機搭載・運用できる点が最大の特徴である。このような艦艇は、発展改良型のしらね型を含め、現在に至るも世界唯一と言ってよく、日本の特殊な用兵思想を色濃く反映している。装備面での特徴としては、ヘリコプター運用時に姿勢を安定させるためのフィンスタビライザーを自衛艦で初めて装備したほか、揺れる艦上における飛行作業の安全・効率化のため、着艦拘束装置(ベアトラップ)を初めて装備した。

なお、こんごう型護衛艦イージス艦)が登場するまではこのクラス(しらね型含む)が海自最大級の護衛艦であった。
艦歴

「はるな」は、第3次防衛力整備計画に基づく昭和43年度計画4,700トン型ヘリコプター搭載護衛艦2401号艦[1]として、三菱重工業長崎造船所1970年3月19日に起工され、1972年2月1日に進水、1973年2月22日に就役し、第1護衛隊群に直轄艦として編入され横須賀に配備された。

1974年11月9日に発生した第十雄洋丸事件の際には、積み荷のナフサプロパンの爆発による二次災害を防ぐため、はるなを旗艦とする臨時処分部隊が災害派遣出動し、11月26日に護衛艦「たかつき」、「もちづき」、「ゆきかぜ」とともに処分現場に派遣され、翌27日から28日にかけて海没処分するための射撃を実施し、第十雄洋丸を沈没させた。

同年11月27日、第1護衛隊群隷下に第51護衛隊が新編され、同日付で就役した護衛艦「ひえい」とともに編入された。

1975年7月、本州南方で護衛艦「ひえい」、「あきづき」、潜水艦まきしお」、「なるしお」と共に、アメリカ海軍との合同対潜水艦戦訓練に参加した。

1978年7月3日から8月17日の間、護衛艦「ひえい」、潜水艦「くろしお」及びP-2J 8機とともにハワイ派遣訓練に参加。

1981年3月27日第2護衛隊群隷下に第52護衛隊が新編され、同日付で就役した護衛艦「くらま」とともに編入。定係港が佐世保に転籍。

1982年11月2日から12月2日の間、護衛艦「しらね」、「あさかぜ」及びP-2J 8機とともにハワイ派遣訓練に参加。

1983年3月30日、第52護衛隊が廃止となり、第2護衛隊群直轄艦となる。

1984年3月30日第3護衛隊群に直轄艦(旗艦)として編入。

1986年3月31日より三菱重工業長崎造船所においてFRAM改修に入る。この改修により対潜捜索能力、個艦防空能力、戦闘指揮・情報処理能力、電子戦能力が向上し、艦齢は8年延長された。このFRAM改修作業は1987年10月31日に完了し、第3護衛隊群旗艦に復帰した。

1989年6月16日から9月6日の間、護衛艦「しまかぜ」、「みねゆき」と共に米国に派遣され、日米合同演習READIEX89-4Aに参加。

1990年環太平洋合同演習(RIMPAC 1990)に参加。

1995年6月15日から9月5日の間、護衛艦「さわかぜ」及びP-3C 3機とともに米国派遣訓練に参加。

1997年6月9日から9月3日の間、護衛艦「はまぎり」、「みょうこう」及びP-3C 5機とともに米国派遣訓練に参加。

1998年3月20日、定係港が舞鶴に転籍[2]。同年10月13日韓国釜山で実施された韓国建国50周年記念国際観艦式に護衛艦「せとぎり」、「みょうこう」とともに参加した。

1999年2月18日舞鶴港停泊中に高性能20mm機関砲CIWS)の発砲回路試験中、実弾2発が不時発射され、同港東の青葉山付近に着弾した[3]

同年3月24日能登半島沖不審船事件において、初の「海上における警備行動」が発令され、護衛艦「みょうこう」、「あぶくま」と共に出動、不審船に対して警告射撃を実施した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef