はるな型護衛艦
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はるな型護衛艦
DDH-142 ひえい
基本情報
種別ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
命名基準日本の山岳名
建造所三菱重工業長崎造船所
石川島播磨造船所東京第2工場
運用者 海上自衛隊
建造期間1970年 - 1974年
就役期間1973年 - 2011年
建造数2隻
次級しらね型
要目
#諸元表を参照
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はるな型護衛艦(はるながたごえいかん、英語: Haruna-class destroyer)は、海上自衛隊護衛艦の艦級。8艦6機体制の護衛隊群航空中枢となるヘリコプター搭載護衛艦(DDH)として、第3次防衛力整備計画中の昭和4345年度計画で各1隻が建造された[1]ネームシップの建造単価は約91億円であった[2]

1980年代後半には大規模なFRAM改修も行われ、8艦8機体制の時代に入っても、引き続き護衛隊群の旗艦として活躍した。その後、老朽化に伴ってそれぞれ2009年2011年に除籍され、ひゅうが型(16/18DDH)と交代する形で退役した[3]
来歴加海軍サン・ローラン級駆逐艦。ベアトラップ・システムにより、小型ながらシーキングの運用に対応した。

海上自衛隊では、その創設以前から洋上航空兵力の再取得を志向していた。警備隊の創設期にあたる1954年4月には、対潜掃討群(HUKグループ)の編成を念頭に護衛空母2隻の供与が打診され、1955年9月には長澤浩海幕長が横須賀に在泊するアメリカ海軍護衛空母を視察したものの、1956年の防衛庁内での検討では時期尚早と結論され、断念された[4]。また海自創設後の1次防でも、同様の運用思想のもと、ヘリコプター6機搭載の6,000トン級警備艦が試算され、18機搭載の11,000トン型を経て、2次防策定段階の1959年には基準排水量8,000トン級のヘリ空母CVHが基本設計段階にまで進展したものの、保有時期尚早と判断されて立ち消えになった[5]

2次防ではHSS-2哨戒ヘリコプターの本格的導入が開始されたものの、当初は地上の飛行場を基地として、主要港湾や海峡部などの局地防衛を主として運用されていた。その後、ソビエト連邦軍での原子力潜水艦の配備進展などの潜水艦脅威の深刻化を受けて、第3次防衛力整備計画では、改めてヘリコプターの艦載化が志向されることになった[6]。この検討では、性能向上型通常動力型潜水艦と少数の原子力潜水艦を仮想敵としており、船団の直衛に必要な護衛艦隻数を8隻、効果的な対潜攻撃を実施するために展開する必要のあるヘリコプターの機数を4機、この4機を常時展開可能な状態におくために必要な機数を6機と見積もり、この8艦6機体制が基本的な考え方となった[7]。この時期、フィンスタビライザーやベアトラップ・システムなどの技術進歩により、駆逐艦級の艦でも有力な対潜哨戒ヘリコプターを艦載化しうるようになっており、これを背景に、ヘリコプター3機搭載のヘリコプター搭載護衛艦2隻を1個護衛隊群に配置することが構想されるようになった。この構想のもとで計画されたのが本型である[8]

海上自衛隊では、1967年より揚陸艦「しれとこ」でカナダ製のベアトラップ・システムの、また駆潜艇「おおとり」イギリス製のフィンスタビライザーの運用試験に着手した。また同時に船型に関する検討も進められ、基本的には下記の3案が俎上に残った[1]
エレベータ式ハンガー・主砲前後振り分け案 - ハンガーは上構・船体内に配置されて、ヘリコプター甲板とはエレベータで連絡する。主砲は艦首甲板とハンガー後方の艦尾甲板に配置する。

デッキハンガー・主砲前後振り分け案 - ハンガーはヘリコプター甲板前方の上構内に設置される。主砲配置は第1案と同様である。

デッキハンガー・主砲前部集中案 - ハンガー配置は第2案と同様だが、主砲は艦首甲板に集中配置される。

これらのうち、被害局限化の観点から第1案がまず棄却された。第2案は、後部主砲がヘリコプター発着の障害となる懸念があり、また所要のヘリコプター甲板長を確保した場合に船体が大型化して船価が上昇する恐れが指摘された。一方で第3案にも、主砲の後方射界がほとんど失われるという問題があった。最終的に、後方に短SAMを後日装備する含みをもたせることで合意されて、1969年7月に基本設計が完了し、1970年3月より、第3案による建造が開始された[1]
設計

先行したイタリア海軍が建造したアンドレア・ドーリア級巡洋艦と規模が近く、全般配置も類似しているが、土台となる運用要求が異なることから、細部の設計面での共通点は少なくなっている[9]。基本計画番号はF108[10]
船体ハンガーと一体化した艦橋構造物、マック構造、全通した上甲板の後半を占める飛行甲板が見て取れる。

所要の航空運用能力を確保するための航空艤装に伴い、基準排水量は4,700トンと、太平洋戦争中の軽巡洋艦に匹敵する規模となった。船型は、従来の護衛艦が採用してきた2層の全通甲板を備えた遮浪甲板型をもとに、その後端をカットした長船首楼型が採用された。また上甲板は艦首から艦尾まで全通している[1]

船体の後方3分の1を占めるヘリコプター甲板の横幅を確保するため、全長にわたるナックルが設けられており、またL/B比(全長・全幅比)は8.7:1と、30ノット以上の戦闘艦としては異例の小ささになった。航空機の運用円滑化のため、上記の経緯により、二組のフィンスタビライザーも装備された[1]

上部構造物はたかつき型(38DDA)と同じく3層構造で、格納庫と一体化している。煙突はマストと一体化したマック方式とされ、格納庫の設計上、左舷にシフトして設置された。また、「はるな」においては、気流の乱れにより右舷側の吸気口に排気が逆流する不具合が生じたことから、右舷側に逆流止めの構造物が設けられ、「ひえい」では煙突部分を1.5メートル高めるとともに、後部に大型の排気口をまとめる形式とされた[1]

搭載艇は護衛艦の標準通りで、艦橋構造物の両舷の重力式ダビットに内火艇2隻を、またハンガー天井甲板後端にカッターを搭載していた[1]
機関

主機関には、引き続き蒸気タービン方式が採用されたが、船体の大型化に伴って、従来の護衛艦よりも大幅に強化されている[11]

ボイラーは2胴水管型を2基、蒸気発生量はそれぞれ毎時130トンであった。蒸気性状は、戦後日本初の国産蒸気タービン護衛艦であるはるかぜ型(28DD)では圧力30 kgf/cm2 (430 lbf/in2)、温度400 °C (752 °F)とされ、以後の護衛艦でもおおむね踏襲されたのち、初代あきづき型および「あまつかぜ」(35DDG)、たかつき型(38DDA)では圧力40 kgf/cm2 (570 lbf/in2)、温度450 °C (842 °F)と高温高圧化が図られていた。


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