はるかぜ型護衛艦
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はるかぜ型護衛艦
護衛艦「はるかぜ」
基本情報
種別甲型警備船→甲型警備艦→護衛艦
運用者 海上自衛隊
建造期間1954年 - 1956年
就役期間1956年 - 1985年
建造数2隻
前級ありあけ型
次級あやなみ型 (DDK)
初代むらさめ型 (DDA)
初代あきづき型 (DD)
要目
基準排水量1,700トン
満載排水量2,430トン
全長106.0メートル (347.8 ft)
最大幅10.5メートル (34 ft)
深さ6.4メートル (21 ft)
吃水3.7メートル (12 ft)
ボイラーボイラー×2缶
主機蒸気タービン
推進器スクリュープロペラ (400rpm)×2軸
出力30,000仏馬力 (22 MW)
速力最大30ノット (56 km/h)
乗員240名
兵装

38口径12.7cm単装砲×3基

56口径40mm4連装機銃×2基

54式対潜弾発射機×1基

54式爆雷投射機 (K砲)×8基

54式爆雷投下軌条×2条

FCS
Mk.51 (12.7cm砲用)×1基

Mk.63 (40mm機銃用)×2基

レーダー
AN/SPS-6 対空捜索用×1基

OPS-3 対水上捜索用×1基

ソナー
QHBa 捜索用×1基
SQS-29Jに後日換装

QDA 攻撃用×1基
※SQR-4/SQA-4に後日換装

電子戦
対抗手段
OLR-3電波探知装置
※OLR-4に後日換装

ハープ対魚雷デコイ[1]

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はるかぜ型護衛艦(はるかぜがたごえいかん、英語: Harukaze-class destroyer)は、海上自衛隊護衛艦の艦級[注 1]。戦後初の国産護衛艦であり、戦闘指揮所(CIC)を装備運用した初の国産艦でもある。建造費は約24億円であった[3]
来歴

1951年(昭和26年)、連合国軍最高司令官マシュー・リッジウェイ大将は、連合国軍占領下の日本に対してパトロール・フリゲート(PF)および上陸支援艇(LSSL)を貸与することを提案した。これを受けて1952年(昭和27年)4月26日海上保安庁内において、これら軍艦の受け皿となるとともに将来の海軍の母体となるべく、海上警備隊が創設された。そして同年8月1日保安庁の発足とともに、海上警備隊は海上保安庁の航路啓開部を吸収して警備隊に改組され、陸上部隊である警察予備隊(のちの保安隊)とともに保安庁の隷下に入り、本格的な再編制への体制が整えられることになった[4]

海上警備隊創設の呼び水となったフリゲート等の貸与は政治上の問題から遅延していたことから、まず整備を完了した船艇を「保管引受け」として借用し、基幹要員の教育訓練が急ピッチで進められることとなった。警備隊の発足時に保有していた船舶は、「保管引受け」中のPF 4隻とLSSL 2隻、および海保から所管換された掃海船等76隻であった(海上自衛隊の掃海船 (編入船)参照)。貸与軍艦の引き渡しは1953年1月14日より開始され、PFは「くす型警備船」、LSSLは「ゆり型警備船」として就役した[4]。警備隊発足年度である昭和27年度予算では、これらの警備船の運用基盤を整備するための支援船(水船や重油船など)の建造が優先され、戦闘艦艇の建造は行われなかった。続く昭和28年度予算でも、当初は小型掃海船2隻が要求されたのみであったが、1952年12月末、大蔵省より、防衛分担金の枠内で130億円を艦船建造費に振り向ける旨の内示があったことから、第二幕僚監部では、急遽、戦闘艦艇の国産新造計画を立案した[3]

本計画では、甲型警備船(DD)2隻と乙型警備船(DE)3隻のほか合計16隻の建造が決定された。この甲型警備船がはるかぜ型であり、乙型警備船は護衛艦「あけぼの」(蒸気タービン装備)といかづち型ディーゼルエンジン装備)である[注 1][3]
設計

本型では、船団護衛や対潜哨戒の他に、漁業保護、救難作業への対応、旗艦設備の保持も求められた。基本設計は財団法人船舶設計協会に委託して行われた[注 2]
船体

船舶設計協会では、旧海軍の白露型駆逐艦朝潮型駆逐艦をタイプシップとし、アメリカ海軍ギアリング級駆逐艦の長所を取り入れる形で設計を進めており、船型はアメリカ海軍の駆逐艦が多用していた平甲板型が採用された。また船体構造も、縦構造を主に、一部を横構造としている[6]。一方、復原性能および旋回性能は日本海軍の基準が採用された[3]

建造にあたっては、電気溶接およびブロック工法が初めて採用された[7]。船殻の材料としては、軟鋼のほか高張力鋼SM52W相当; 後のNS30と同規格)も多くの部分で使用された[8]。縦強度部材以外の部分については、工作の容易性と工費節約を優先して、若干の重量増加を覚悟のうえで、旧海軍の慣行よりも一般に厚くなっている。これを補うため、上部構造物には軽合金(舶用耐食アルミニウム合金)を採用し、重量を10トン以上節約している[9]。本型2番艦「ゆきかぜ」の船殻重量は約601トンとされる[8]

造波抵抗の低減を図るため、艦首の下部はバルバス・バウとされている。また、当時の潜水艦はまだ原子力より通常動力型が多く、シュノーケルを海面に露出して浅深度で航行する敵潜を体当たりで撃沈する状況も対潜戦闘において発生しうる、とされていたため、船首材(ステム)は強化されており、このバルバス・バウの先端部は対潜用の衝角として用いる状況が想定されていた[10][注 3]

旧海軍では余り考慮されていなかった乗組員の居住性の改善も企てられており、例えば寝台は、旧海軍時代のハンモックを廃止、米海軍式の3段吊パイプバースとされた[9][注 4]


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