はやぶさ_(探査機)
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小惑星探査機はやぶさ
(MUSES-C)
所属
宇宙科学研究所 (ISAS)
宇宙航空研究開発機構 (JAXA)
主製造業者NEC東芝スペースシステム
公式ページ小惑星探査機「はやぶさ」MUSES-C
国際標識番号2003-019A
カタログ番号27809
状態運用終了
目的イオンエンジンの実証試験・
小惑星の探査・
サンプルリターン
観測対象小惑星イトカワ
(25143 Itokawa)
計画の期間約4年間(当初)
7年間に延長
打上げ場所内之浦宇宙空間観測所
打上げ機M-Vロケット 5号機
打上げ日時2003年5月9日
13時29分25秒
ランデブー日2005年9月12日
軟着陸日2005年11月20日26日
運用終了日2010年6月13日
物理的特長
本体寸法6 m × 4.2 m × 3 m
(太陽電池パドル、サンプラーホーン展開時)
1 m × 1.6 m × 1.1 m
(衛星本体)
質量510 kg(打ち上げ時、燃料重量含む)
発生電力2.6 kW
(太陽から1.0AUにおいて)
主な推進器イオンエンジンμ10
(8 mN / 3,400秒) × 4
姿勢制御方式3軸姿勢制御
主な搭載装置
AMICA可視分光撮像カメラ
ONC-T望遠光学航法カメラ
ONC-W広角光学航法カメラ
LIDARレーザ高度計
NIRS近赤外線分光器
XRS蛍光X線スペクトロメータ
ターゲット
マーカ × 3小惑星タッチダウン用の人工目標物
うち1個は88万人分の名前入り
サンプラー
ホーンサンプルリターンサンプラー
再突入
カプセルサンプル格納用耐熱容器
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はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてんはるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。開発・製造はNEC東芝スペースシステムが担当した。

イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群小惑星 (25143) イトカワに到達し、その表面を詳しく観測して[注釈 1]サンプル採集を試みた後、2010年6月13日22時51分、60億kmの旅を終え地球に帰還し、大気圏に再突入した[3][4]地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。
概要

はやぶさは2003年5月に内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機で打ち上げられ、太陽周回軌道(他の惑星と同様に太陽を公転する軌道)に投入された。その後、搭載する電気推進イオンエンジン)で加速し、2004年5月にイオンエンジンを併用した地球スイングバイを行って、2005年9月には小惑星「イトカワ」とランデブーした。約5か月の小惑星付近滞在中、カメラやレーダーなどによる科学観測を行った[注釈 2]。次に探査機本体が自律制御により降下・接地して、小惑星表面の試験片を採集することになっていた。その後、地球への帰還軌道に乗り、2007年夏に試料カプセルの大気圏再突入操作を行ってパラシュートで降下させる計画であったが、降下・接地時の問題に起因する不具合から2005年12月に重大なトラブル[注釈 3]が生じたことにより、帰還は2010年に延期された。2010年6月13日、サンプル容器が収められていたカプセルは、はやぶさから切り離されて、パラシュートによって南オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸し、翌14日16時8分に回収された[5]。はやぶさの本体は大気中で燃えて失われた。カプセルは18日に日本に到着し、内容物の調査が進められ、11月16日にカプセル内から回収された岩石質微粒子の大半がイトカワのものと判断したと発表された[6][注釈 4][注釈 5]

小惑星からのサンプルリターン計画は国際的にも例が無かった。この計画は主に工学試験のためのミッションであり、各段階ごとに次のような実験の成果が認められるものである。
イオンエンジンによる推進実験

イオンエンジンの長期連続稼動実験

イオンエンジンを併用しての地球スイングバイによる加速操作

光学情報を利用した自律的な接近飛行制御と誘導

小惑星の科学観測

微小重力下の小惑星への着陸、および離脱

小惑星サンプルの採取

サンプル収納カプセルの惑星間軌道から直接大気圏再突入・回収

地表で小惑星のサンプル入手

はやぶさの地球帰還とカプセルの大気圏再突入、カプセルの一般公開、その後の採取物の解析などは日本を中心に社会的な関心を集めた。はやぶさがミッションを終えてからもブームはしばらく続いた[8]

イトカワ探査の終了後、JAXAでは「はやぶさ2」をミッションとして立案していたが[9]、2011年5月12日、JAXAは「はやぶさ2」を2014年に打ち上げる予定であると発表した[10]

2013年1月30日に、JAXAがこれまでに蓄積した膨大なデータを広く一般に公開するための実験の1つとして、はやぶさのAPIが構築された[11][12]。このAPIは多摩美術大学東京工科大学に公開され、同大学の学生がはやぶさのAPIを使用したアプリケーション開発を行う[11][12]
名前の由来

ISASでは探査機の名前は、関係者同士の協議によって命名されてきた。MUSES-Cの場合、「はやぶさ」の他にも「ATOM」(Asteroid Take-Out Mission、アトム)という有力候補が存在した[13]。この名は的川泰宣を中心に組織票が投じられていた案であった[13]。一方「はやぶさ」は上杉邦憲川口淳一郎によって提案され、小惑星のサンプル採取が1秒ほどの着地と離陸の間に行われる様子をハヤブサが獲物を狩る様子に見立てた案であった[13]。他にも「はやぶさ」の名には、かつて東京から西鹿児島を走った『特急はやぶさ』や、鹿児島県の地名でもある『隼人』の面もあった[13]。協議の際に的川は「最近の科学衛星は『はるか』とかおとなしい感じの名前や、3文字の名前が多いので、濁点も入った勇壮な『はやぶさ』もいいね」と語り、また「ATOM」は語意の原子から原子爆弾が連想されるとして却下され[14]、結局「はやぶさ」が採用された[13]。小惑星の名前が「イトカワ」であることから「戦闘機と宇宙機の両方分野で著名な糸川英夫氏に縁の深い、戦闘機『』にちなんで命名された」と言われることもあったが、本探査機の打上げ日に初めて「はやぶさ」という正式名称が発表され、それから3か月後にその目標である小惑星1998 SF36が「イトカワ」と命名されたので、誤解であると川口は説明している[13]

後続のはやぶさ2対比して「初代はやぶさ」[15]「(はやぶさ)初号機」[16][17]といったレトロニムで呼ばれることもある。
ミッション背景
計画承認までの経緯はやぶさのコンセプトアート(NASA)。サンプラーホーンの形が完成形と大きく異なる。また左下にはキャンセルされたNASAのローバーが描かれている。

後に「はやぶさ」に至る小惑星サンプルリターン計画の検討は、日本で初めて惑星間空間に到達することになった「さきがけ」の打ち上げが成功裏に行われ、「すいせい」の打ち上げを控えた1985年6月、ISAS教授(当時)鶴田浩一郎が主催する「小惑星サンプルリターン小研究会」として始まった[18]。その成果として翌1986年には1990年代を想定し、化学推進を用いてアモール群に分類される小惑星である「アンテロス」を対象とするサンプルリターン構想が纏まる[19]。しかし、要求を満たす能力を持つロケットが存在しないなど、時期尚早であるとしてプロジェクトの提案はなされなかった[20]

M-Vロケット開発を受けて検討は再開され、1989年秋から1990年春にかけて行われた宇宙理学委員会において、M-V 2号機のプロジェクトとして提案された。だが、LUNAR-A計画に敗れ採用されなかった[21]。その後はランデブーとホバリングによる超接近観測を目的とした工学衛星計画に方向性を改めて再検討が進められることになった。1991年1月時点において、MUSES-C計画は光学観測による自律航行、三軸姿勢制御、ターゲットマーカーを用いた自律運用、X線分析装置と質量分析器の搭載などが検討されており、1997年5月に二段式キックモーターを装備したM-Vで打ち上げられ、1998年6月にアンテロスに到達するという計画であった[22]。その後も検討は進められ、1995年に小惑星サンプルリターン技術実験探査機として宇宙工学委員会で選定、1995年8月に宇宙開発委員会が承認し[23]、正式にプロジェクトが開始された。

小惑星サンプルリターン計画と並行して、彗星サンプルリターン計画の検討も行われていた。1987年のハワイにおけるISY会議の席上で、低価格な彗星サンプルリターン計画「SOCCER」の検討をジェット推進研究所 (JPL) とISASとの合同で開始することが決定された。M-Vによる打ち上げや、マリナーMarkII計画の「CRAF」との連携を視野に入れたデルタロケットの使用も検討され[24]、1992年のディスカバリー計画ワークショップにおいて提案されるが、採用されなかった。その後、1994年にISASはMUSES-C計画に注力することを決定、SOCCER計画から外れる。その後、JPLによって検討を続けられたこの計画は、「スターダスト」としてディスカバリー計画に採用された[25]
目的地の変更小惑星イトカワの軌道(I:イトカワ、E:地球、M:火星、S:太陽)

1994年に本格化した計画当初、目的地の小惑星は (4660) ネレウスであった。しかしM-Vロケットで打ち上げ可能な探査機の能力から見て、ネレウスへ向かうことが難しいと判断され、第2候補である (10302) 1989 ML という小惑星に変更された。しかし2000年2月10日のM-Vロケット4号機の打ち上げが失敗、2002年初頭に予定されていた打ち上げ計画が延期となって、1989 ML へ向かうことが出来なくなった。その結果、(25143) 1998 SF36が3つ目の候補として浮上、目的地として決定することになった。

はやぶさ命名3か月後の2003年8月、目的地の小惑星1998 SF36は、(探査対象となったことから)日本の宇宙開発の父、糸川英夫にちなんで、「イトカワ」と命名された[26]。糸川は中島飛行機出身であり、設計に参加した飛行機としては「戦闘機(はやぶさ)」が著名である[27][28]が、先述のとおりこれが小惑星の名前の由来となったわけではない。
構造第61回国際宇宙会議で展示されたはやぶさの模型
仕様


全高:1.5 m

全幅:1.5 m

全備質量:510 kg

電源:トリプルジャンクション太陽電池リチウムイオン二次電池リチウム一次電池(再突入カプセル関連機器のみ)

バス系
構体
構体は、内部に電子機器や推進剤タンクなどを収容し、宇宙空間での温度差からそれらを保護すると同時に、内外の機器類の固定用強度部材となる
[注釈 6][29]


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