小惑星探査機はやぶさ
(MUSES-C)
所属宇宙科学研究所 (ISAS)
現 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)
主製造業者NEC東芝スペースシステム
公式ページ小惑星探査機「はやぶさ」MUSES-C
はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてん、はるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。開発・製造はNEC東芝スペースシステムが担当した。
イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群の小惑星 (25143) イトカワに到達し、その表面を詳しく観測して[注釈 1]サンプル採集を試みた後、2010年6月13日22時51分、60億kmの旅を終え地球に帰還し、大気圏に再突入した[3][4]。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。 はやぶさは2003年5月に内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機で打ち上げられ、太陽周回軌道(他の惑星と同様に太陽を公転する軌道)に投入された。その後、搭載する電気推進(イオンエンジン)で加速し、2004年5月にイオンエンジンを併用した地球スイングバイを行って、2005年9月には小惑星「イトカワ」とランデブーした。約5か月の小惑星付近滞在中、カメラやレーダーなどによる科学観測を行った[注釈 2]。次に探査機本体が自律制御により降下・接地して、小惑星表面の試験片を採集することになっていた。その後、地球への帰還軌道に乗り、2007年夏に試料カプセルの大気圏再突入操作を行ってパラシュートで降下させる計画であったが、降下・接地時の問題に起因する不具合から2005年12月に重大なトラブル[注釈 3]が生じたことにより、帰還は2010年に延期された。2010年6月13日、サンプル容器が収められていたカプセルは、はやぶさから切り離されて、パラシュートによって南オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸し、翌14日16時8分に回収された[5]。はやぶさの本体は大気中で燃えて失われた。カプセルは18日に日本に到着し、内容物の調査が進められ、11月16日にカプセル内から回収された岩石質微粒子の大半がイトカワのものと判断したと発表された[6][注釈 4][注釈 5]。 小惑星からのサンプルリターン計画は国際的にも例が無かった。この計画は主に工学試験のためのミッションであり、各段階ごとに次のような実験の成果が認められるものである。 はやぶさの地球帰還とカプセルの大気圏再突入、カプセルの一般公開、その後の採取物の解析などは日本を中心に社会的な関心を集めた。はやぶさがミッションを終えてからもブームはしばらく続いた[8]。 イトカワ探査の終了後、JAXAでは「はやぶさ2」をミッションとして立案していたが[9]、2011年5月12日、JAXAは「はやぶさ2」を2014年に打ち上げる予定であると発表した[10]。 2013年1月30日に、JAXAがこれまでに蓄積した膨大なデータを広く一般に公開するための実験の1つとして、はやぶさのAPIが構築された[11][12]。このAPIは多摩美術大学と東京工科大学に公開され、同大学の学生がはやぶさのAPIを使用したアプリケーション開発を行う[11][12]。 ISASでは探査機の名前は、関係者同士の協議によって命名されてきた。MUSES-Cの場合、「はやぶさ」の他にも「ATOM」(Asteroid Take-Out Mission、アトム)という有力候補が存在した[13]。この名は的川泰宣を中心に組織票が投じられていた案であった[13]。一方「はやぶさ」は上杉邦憲と川口淳一郎によって提案され、小惑星のサンプル採取が1秒ほどの着地と離陸の間に行われる様子をハヤブサが獲物を狩る様子に見立てた案であった[13]。他にも「はやぶさ」の名には、かつて東京から西鹿児島を走った『特急はやぶさ』や、鹿児島県の地名でもある『隼人』の面もあった[13]。協議の際に的川は「最近の科学衛星は『はるか』とかおとなしい感じの名前や、3文字の名前が多いので、濁点も入った勇壮な『はやぶさ』もいいね」と語り、また「ATOM」は語意の原子から原子爆弾が連想されるとして却下され[14]、結局「はやぶさ」が採用された[13]。
概要
イオンエンジンによる推進実験
イオンエンジンの長期連続稼動実験
イオンエンジンを併用しての地球スイングバイによる加速操作
光学情報を利用した自律的な接近飛行制御と誘導
小惑星の科学観測
微小重力下の小惑星への着陸、および離脱
小惑星サンプルの採取
サンプル収納カプセルの惑星間軌道から直接大気圏再突入・回収
地表で小惑星のサンプル入手
名前の由来