はなバス
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現行の専用車(西武バス) (A8-554)かつて使用されていた日野・リエッセ (A4-999)

はなバスは、東京都西東京市を走るコミュニティバスである。

2001年(平成13年)1月21日に保谷市田無市が合併して「西東京市」が発足し[1]2002年(平成14年)3月に西東京市「はなバス」として運行を開始した[2]。運行開始日は第1・4ルートが30日、第2・3ルートが23日だった[2]1996年(平成8年)に開業した旧・保谷市コミュニティバス「キャンバス(Can Bus)[3]」を継承・発展させる形で開業したもので[4][5]、この記事では、「キャンバス(Can Bus)」についても記述する。

運行は第1?3ルートが西武バス滝山営業所、第4ルートが関東バス武蔵野営業所が受託している[6]
沿革
キャンバスの開業

「はなバス」の前身となった「キャンバス(Can Bus)」は旧・保谷市1996年(平成8年)3月に運行を開始したコミュニティバスで[7]、保谷市役所(現・西東京市役所保谷庁舎)まで遠い新町地区の住民の利便を図るため運行していた。合併前の田無市と保谷市の位置関係は田無市が保谷市に食い込むような形で、保谷市の南部と北部で細く伸びた区域が田無市を包み込み、あたかも上下に腕を広げて抱き込むような形になっていた[8]。面積の狭い二つの市が複雑に入り組んだ位置関係にあったことが、二つの市を合併させる大きな要因の一つになった。新町地区は旧・保谷市の最南端部分で西武新宿線田無駅のさらに南側に位置し、東西に細長く伸びた町域が田無市と武蔵野市の隙間に挟み込まれるような形になっており、特に西端は小金井公園付近にまで伸びていた。西武池袋線保谷駅近くにある保谷市役所からは非常に遠く、アクセスが極めて不便な地域だった。そのため、新町六丁目から西武新宿線東伏見駅を経由して保谷市役所へ向かうコミュニティバスとして、「キャンバス」が運行された。このキャンバスが運行される保谷市を含めた多摩地域では、1980年代に開業した武蔵村山市内循環バス日野市ミニバス1995年(平成7年)に隣接する武蔵野市で開業した「ムーバス」があり[9]、キャンバスの開業はこれに続く4番目だった。多摩地域では勿論、全国的に見ても早い開業で、1997年(平成9年)には多摩市ミニバス町田市民バス「まちっこ」が開業しており、2000年代にかけてコミュニティバスの開業が相次いだ[9]。「多摩地域#コミュニティバス」も参照

西武バス上石神井営業所のコミュニティバス受託としては、1991年(平成3年)8月に運行を開始した「旧・練馬区シャトルバス」に続く2番目で[10]、保谷駅の敷地の一部は練馬区にも跨っている。なお、西武バス全体ではキャンバスに先駆け、新座営業所1994年(平成6年)に朝霞市内循環バス1995年(平成7年)に新座市シャトルバス(現在廃止)の受託も開始している[10]
キャンバスからはなバスへはなバスの停留所はラインカラーで色分けされている

保谷市2001年(平成13年)1月に田無市と合併し、「西東京市」が誕生した。西東京市は21世紀で最初に合併新設によって発足したで、東京都で最も新しい市である。多摩地域における市町村合併による市の新設は1995年(平成7年)のあきる野市に続くものである。発足した西東京市は市内に西武鉄道鉄道駅を5駅を擁することになったが[5][11]、合併以前より各駅から西武バス関東バスによる一般路線バスが運行されているために交通の便は比較的充実していた[5][11]。しかし市域には狭隘道路が多いことから定時性が損なわれがちで[11]、既存のバス路線網から外れた交通空白地帯も存在していた[5]

合併後も「キャンバス」は保谷市時代のキャンバスをそのまま引き継ぎ、「西東京市キャンバス」として運行が継続された。運行事業者も西武バス上石神井営業所が担当してきたが、キャンバスは一般路線と同様の多区間運賃制で一般路線バスとの競合区間も多いことから利用率が芳しくなく、田無市と合併したことで新町地区の住民は近隣の西東京市役所田無庁舎(旧・田無市役所)を利用するようになったため、キャンバスそのものの存在意義が薄れてしまった。そのため、以前からの課題である一般路線バスが通行できない公共交通空白地域の解消も含めて、合併後の市民の利便性向上を図るためにコミュニティバスの再編が求められた[5][11]。これは新たに誕生した西東京市の四大事業とされ、「キャンバス」は2002年(平成14年)3月に「西東京市はなバス」へ生まれ変わった。キャンバスから「はなバス」へ変更された際に担当は上石神井営業所から滝山営業所へ移管され、新設された第4ルートに関しては関東バスの一般路線との競合を避けるために関東バス武蔵野営業所に運行受託されることとなった。車体の色も「はなバス」専用の水色を基調とした新デザインに改められ、新車も導入された。ただし、キャンバス時代から使用されてきた車両は廃車にならず、塗装変更の上で引き継がれた[11]。運行開始にあたり、新たに誕生した市制のイメージアップも重要視されたために乗務員の新規採用時には4名の女性運転士が採用され、運転技術や接遇教育を徹底して行ったとされる[11]
西東京市の足として定着

「はなバス」は合併後の新しい市の事業として、運行開始翌月の2002年(平成14年)4月から乗車人数・輸送収入が徐々に増加し[11]、市民の足として定着した。同年12月2日には早くも利用者が50万人を突破し[12][13]2003年(平成15年)には国土交通省が調査した報告書「全国のバス再生事例集[14]」における「バス再生事例 コミュニティバス関係[15]」において、はなバスが日本全国のコミュニティバスの中でも「導入効果が認められる事例[15]」の一つとして取り上げられた[11]

2004年(平成16年)5月21日には利用者数が累計で200万人を達成し[16][17]、同年6月1日から8月31日までの間に専用車(クセニッツ・CITY)に赤いリボンの装飾を施した記念の車両を各ルートに1台ずつ運行した[17]。9月1日には第5ルートを新設させ[18]、これによって西東京市内の公共交通空白地域はほとんど消滅したが、ひばりが丘北東部は未だに交通の不便な地域が存在しているため、西東京市では今後も都市計画道路の開通にあわせ、はなバスネットワークを拡大・順次見直ししていく考えを明らかにした[18]

2007年(平成19年)と2010年(平成22年)に西東京市が市民を対象に実施したアンケートの結果では、「(合併して)西東京市になって良かったと感じること」の第1位として「はなバスの運行など、交通の便が良くなったこと」が挙げられており[19]、はなバスの存在は合併の成果として、市民から非常に高く評価されている[19]


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