はなまるマーケット
[Wikipedia|▼Menu]

はなまるマーケット
Hanamaru Market
ジャンル
生活情報番組
司会者岡江久美子
薬丸裕英
出演者本文参照
オープニングベイ・シティ・ローラーズ二人だけのデート-I only want to be with you-
(オープニングトークBGM)
製作
プロデューサー周麻那
鈴木千春
山本一雄
富原宗祐
制作プロデューサー内田正
製作TBSテレビ

放送
音声形式モノラル放送
(モノステレオ放送)
放送国・地域 日本
公式サイト

番組開始から2005年3月まで
放送期間1996年9月30日 - 2005年3月25日
放送時間平日 8:30 - 10:20
放送枠TBSテレビ系列平日午前のワイドショー枠
放送分110分

2005年4月から番組終了まで
放送期間2005年3月28日 - 2014年3月28日
放送時間平日 8:30 - 9:55
放送分85分

番組年表
次作いっぷく!
特記事項:
110分時代は一部地域では9:55で飛び降り
テンプレートを表示

『はなまるマーケット』は、TBS系列1996年9月30日から2014年3月28日まで、平日に放送されていた生活情報番組。略称は「はなまる」(番組最末期は新聞番組表でもこの略称でクレジットされていた)。これが平成初の平日午前のワイドショー番組となった。
概要
開始の経緯と立ち上げ時

1996年春、TBS(現・TBSホールディングス)はオウムビデオ事件での責任を取る形で、ワイドショーの廃止を発表した。当該枠の前番組『モーニングEye』や午後枠スーパーワイド』を打ち切り、秋改編で芸能・時事問題を扱わない2つの「生活情報番組」、本番組と『素敵なあなた』を開始させることとなる[1][2]

本番組開始にあたり、TBSは当時NHK総合テレビでほぼ同時間帯で放送していた同じ生活情報番組『生活ほっとモーニング』(後述する『あさイチ』の前身番組)を参考にしたという[3]

総合司会は開始から終了まで一貫して岡江久美子薬丸裕英が担当。一時期は両者の不仲説も囁かれたが、ともにこれを否定している[4]

番組当初のプロデューサーを務めた石川眞実によると、番組開始にあたり、会社からは「ワイドショーはやめろ」という指示はなく

「生放送であること」

「行き過ぎた取材をしないこと」

が与えられたルールであったが、そこに

「事件事故などの“発生もの”や芸能ネタをやらないこと」

「日常の幸せを大切に、明るく楽しく暮らせる“生活情報番組”にする」

という道筋を定め[5]、内容のコンセプトを

「病院の待合室でも安心して見られる内容にすること」

「テレビは時代と寝ることは当たり前だが、あだ花のような時代の突出物には飛びつかないこと」

「芸能スキャンダルにはいっさい触れないこと」

と打ち出した[6]
この道筋から見られるように、ワイドショーには「発生ものや時代の突出物(いわば流行やスキャンダル)」に「行き過ぎた取材」がつきものであり、それが結果として打ち切り騒動につながっているという点も見られる。

これまで音楽番組バラエティ番組を担当してきた石川が朝の新番組を担当するにあたり、総合司会として真っ先に頭に浮かんだのが同局の『天までとどけ』のイメージから岡江だったという。テレビ朝日の喫茶室で石川は岡江にオファーと番組の説明を行い、岡江は快諾したという[7]

石川は「スタートさせる時、とにかく時間がなかった。『モーニングEye』という前番組の終了決定が5月の連休明けで、『はなまる』は9月スタートですから約4か月しかない。企画書作成、キャスティング、スタッフ確保などに奔走しました。当時管理部門にいた私に後番組の企画・制作の指名があったのですが、今考えても入社以来一番働いた期間だったと思います」とも語っている。

石川は岡江にほとんど指示は出さなかったが、唯一「番組のオープニングで、昨日あったことや最近感じたことを、フリートークで薬丸さんと話してください。時間は短くても長くても構いませんから」と要請したことがあり、この番組冒頭の他愛もない会話が視聴者にウケ、このオープニングトークは後に好評となった[8]。これは、石川と同じく立ち上げ時から構成担当として関わっていた放送作家の高橋秀樹の「司会の人は毎日やってくるが、全く何を話すか考えてこない。何も考えないで仕事に臨む人を僕は信用できない」というワイドショーの司会者に抱いていた不信感から石川に放送作家が台本を書かないという前提で提案したものである[9]

高橋によるとスタッフ・出演者体制のコンセプトも作られたという。出演者のコンセプトとしては

「出演者は岡江久美子より全員年下であること」

「曜日レギュラーはすべて子ども・夫もいる女性であること」

「リポーターという呼称は、ワイドショーを連想させるので使わずアナウンサーと呼ぶこと」

「はなまるアナは地方局でアナウンサー経験のあるものに限ること」

「はなまるアナはディレクターが調べたことをただ伝えるのではなく、自らもスタッフの一員になって情報を調べクルーのなかで当該情報に最も詳しい出演者になるように努めること」

という5つが掲げられた。

一方、スタッフは

「内容の責任者となる第2プロデューサーより年上の社員スタッフは入れないこと」

「女性スタッフの比率を3割以上にすること」

「それぞれのプロデューサーは分業ではなく、分担制とし、ほかの分担の否定的な意見は慎むこと」

という3つが掲げられた。前者の「アナウンサー」という呼称に関しては、TBSの社員ではない外部プロダクションのフリーアナウンサーも出演するため、アナウンスセンターから異議が出て、「はなまるアナ」という呼称に落ち着いた[6]。「はなまるアナ」が取材の調査なども行う理由として、石川は開始前の打ち合わせで高橋から「ワイドショーっぽいっていうのはどういうことですか」と質問され、「リポーターがいること」「リポーターは何も知らないのに、ディレクターの操り人形になっていること」と答えている。これは前述にある高橋が抱く「何も考えないで仕事に臨む人」にもつながる。[9]

番組開始当時「半年間の“つなぎ”だから」とスタッフに言われたと番組10周年の記者会見で薬丸[注 1] が語っていたが、結果的に1990年代後半以降開始のTBS平日帯番組の中では17年半も続いた唯一の長寿番組となった。
内容・エピソード

生放送という放送形態や番組のカラー、また出演者のキャラクターなどが相まって、何かしらのハプニング(NG)を起こすことが多く、特に初期の頃は岡江と斎藤のNGが『オールスター赤面申告!ハプニング大賞』の常連になっていた(岡江の迷言・珍言はもちろんだが、冷静に物事を運んでいる薬丸も葡萄の話題で岡江から「何葡萄が好きですか?」と尋ねられた際に「巨峰」という所を「巨乳」と答えてしまうなど)。

「とくまる」の部分はライオン一社提供[注 2] で、途中で佐藤遙子伊津野亮吉田玲奈、山本英里(以前にも出演していたが、産休のため吉田に交替。2010年4月5日から再登場、その時のペアは佐藤。なお、吉田も引き続き出演)藤代太一による生コマーシャルが挿入される[注 3]。2000年代途中までは全ての枠で提供コメントがなかった[注 4] が、その後は「とくまる」のパートに限り提供コメント(前提供)が行われている[注 5]。視聴者主婦の自宅を取材したVTRには視聴者宅のライオン製品が多く映される。なお、ライオンは当番組の後を受けた『いっぷく!』→『白熱ライブ ビビット』→『ビビット』→『グッとラック!』→『ラヴィット!』でも8時台のスポンサーに付いているが、「番組を放送しているスタジオから生放送する」本来の意味合いでの生コマーシャルは本番組終了を以て廃止され、『いっぷく!』以後の番組は体制を別スタジオで事前収録したものに変えている(内容自体に変わりはなく、放送も1回限りなのはそのまま)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:236 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef